どうも、太陽です。
理不尽を嫌う人がいます。僕もそのひとりです。
👉参考動画:
ヤクザが使う本物のバカの特徴と見抜き方
ヤクザ(暴力団)のような構造は、実のところ芸能界がその典型です。
そこは、従順な奴隷だけが生き残れる世界です。
わざと理不尽を与え、その対応で相手の本性を見極める。それがヤクザ的なやり方です。
反発しなければ“忠実な駒”として認定され、出世への道が開かれます。
思い返せば、昔の音楽番組でのアーティストへの扱いはひどいものでした。
「TVに出してやっている」という、まさに上から目線の態度が当たり前でした。
社会の表側でも、上下関係がはっきりしている組織はヤクザと大差ありません。
彼らが求めているのは、従順なソルジャーです。それなのに「個性重視」とは、矛盾した標語にすぎません。
本当に個性を発揮したいのなら、会社組織ではなく、フリーランスやYouTuberになるべきです。
集団に埋もれる職場で“個性”など活かせるはずがありません。
ホワイト企業や、まともな実力主義の場なら、文句を言わず全力で頑張れる人間もいます。
ですが、ヤクザ的社会や芸能界は違います。
能力ではなく、年齢や立場の上下で従わせる仕組みなので、無意味なしごきや理不尽が蔓延します。
あえて無駄や非効率を押し付け、忠誠心を試し、奴隷契約で利益を得る──それが彼らのビジネスモデルです。
そんな場所に「適応できなかった人」は、むしろラッキーです。
そんな歪んだ世界で認められないことは、むしろ勲章とも言えます。
やがて潰れる船に、忠実にしがみつく必要はありません。そんな船に残っても報われません。
反発して離れられる人間の方が、むしろ生き残る力を持っているのです。
ブラック企業も理不尽と無駄の塊ですが、根性は鍛えられます。
ただし、そんな場所に居座るべきではなく、せいぜい3年で卒業すべきです。
企業側も、大量採用して大量解雇する“消耗品”としてしか社員を見ていないのが現実です。
👉参考動画:
“孤高の存在”「シグマ男性」の特徴
この「シグマ男性」というタイプも、理不尽を拒絶する存在のひとつでしょう。
👉参考動画:
格上男にしか女性は惹かれない現実
恋愛・結婚においては、精神的にも肉体的にも“7:3”くらいで男性がGIVEしないと成立しにくい現実があります。
または“女性慣れ”した男が勘違いの自信を持ち、それを格上と錯覚されるパターンです。
理不尽を嫌う人は、そもそもそんな勝負に魅力を感じません。
モテたいとも、結婚したいとも思っていない──だから独身志向が強いのでしょう。
理不尽を本気で拒絶する人は、スマート消費術・ダイエット・筋トレ・セキュリティ自衛を徹底し、最小限の支出で最大限の自由を確保します。
その努力は、ただ「自由になりたい」という一心から生まれます。
社会的責任、世間体、見栄──そんな無意味な束縛にもう縛られる気はありません。
芸能界などは、社会的責任の頂点です。
ちょっとでも外れた行動をすれば、週刊誌に叩かれ、スポンサーが逃げ、芸能界から追放されます。
理不尽の極致。そんな世界、入る価値などありません。
また、日本の「潜在国民負担率」は約6割。つまり「働いたら負け」な世界です。
労働者が稼いだ1億円のうち、6,000万円は“胴元”が持っていく構造。
それと同じく、ジャニーズ事務所は8割持っていく奴隷契約を課していました。
そんな契約を飲むくらいなら、スマート消費で最小支出の暮らしの方が自由です。
宝くじは還元率50%。つまり100万円買えば、統計的には50万円しか戻りません。
損する仕組みにわざわざ突っ込む意味はありません。
日本には「奴隷根性」が染みついています。
理不尽に逆らえない文化は、“村社会”で弾かれたら終わり、という恐怖から来ています。
でも、弾かれてもいい。孤高に生きる。群れない。強く生きる。
それもまたひとつの道です。
その鍵が、スマート消費術、筋トレ、セキュリティ自衛、メンタル維持、AI活用です。
僕自身も、ハッキング被害をきっかけに徹底的な防衛策を打ち立てました。
noteやYouTubeなど規約が厳しい場所から離れ、7920円/3年の格安サーバーでWordPressブログを構築。
Windows支配から逃れ、Linuxに移行。
中華スマホやミニPCに切り替え、KindleやBoothではなく自ブログでPDF販売を始めるまでに至りました。
自由のための苦労は、まったく苦ではありません。
僕を支配しようとする存在からはすべて逃れます(ISP変更もその一例)。
大学受験の試験制度にも違和感を覚えていました。
あれは一種のIQ選別であり、自分には向いていませんでした。
だから、その世界とは無縁でいいのです。
支配や脅しは通用しません。
むしろ圧力があれば、それを燃料にして成長します。
圧力がかかるたび、対策を施し、無力化する。それが僕のスタイルです。
たとえば、もしChatGPTに圧力が加わったら──
僕は契約を即座に解除して、DeepSeekなど別のAIを使います。
中華製でも個人で使う限り、特に問題はありません。
最後に、「一般論」ですが──
競争社会においては、テストステロン値が高い男性が有利です。
問題解決力・生命力の面でも、男性の方が平均的に強い傾向があります。
女性は生理などの身体的ハンデを抱えるため、精神的には強い反面、問題解決力で劣ることがあり、だからこそ、同じように弱い男性を本能的に拒否します。(パートナーにしても滅びる可能性が高いから)
これはあくまで平均傾向であって、すべての女性に当てはまるわけではありません。
中には、男に匹敵する問題解決力や生命力を持ち、自立して生きる強い女性もいます。
ただ、女同士の連帯は弱く、もろいと僕は感じています。
男は弱い女性を助けたいと願う人が多いですが、女性は弱い男性に対して、関わろうとすらしません。
──これもあくまで一般論です。
該当しない人はスルーしてください。(この手の話をすると、なぜか必ずムキになる層が現れますから)
自尊心は「静かな燃料」です
YouTuberや芸能人にナルシストが多いのは、自然なことだと思います。
表に立つ仕事というのは、自尊心が10段階中9以上なければ続けられません。自信がなければ、発信そのものができないからです。
ある人気YouTuberもこう語っていました──「自尊心が7に下がったら、ケアして9に戻す」と。
https://www.youtube.com/watch?v=Q0Q0UW2GG9k
自尊心を高く保つ方法。
誤解しないでいただきたいのは、自尊心9というのは傲慢さではなく、「自分ならできる」という自己効力感のことです。
これは人に見せるものではなく、自分の内側で静かに整えておくものです。成果を出し、行動を積み重ねていけば、自然と高まっていきます。
行動は最強の自己治療です
最近、行動を繰り返すうちに「やりたいこと」が大幅に減ってきました。
その理由は単純で、「実際にやってみたから」です。
行動すれば、「やるべきことリスト」はどんどん減っていきます。
行動こそが善です。やってみて「違う」とわかれば、損切りできます。
やらずに悩み続けるより、まずは試して確かめたほうが遥かに効率的です。
(ただし、致命的な損失につながる行動は慎重に避けるべきです。)
自尊心が低いと、打席に立つことすら億劫になります。だからこそ、自尊心のケアが重要なのです。
打率が高いに越したことはありませんが、それ以上に「打席に立ち続けること」がもっと大事です。
打率の高さにこだわるのは、打席に立つ体力がない人の発想かもしれません。
自由を得るには「やりたくないこと」が鍵です
「やりたくないことを避けたい」と思うなら、あえて“もっとやりたくないこと”を100倍こなす必要があります。
その先に、本当の自由があると感じています。この逆説を理解できないと、理不尽の前に立ち尽くすことになるのではないでしょうか。
発言のリスクと、自立の盾
世の中に強い発言をすると、それがブーメランのように返ってくることもあります。
しかし、私にはそれを受け止めるための土台があります。
・最小限の支出で生きていける体制(スマート消費術)
・健康管理(筋トレ・ダイエット)
・セキュリティ対策(デジタル自衛)
・メンタルの自走管理
防御はすでに整えています。
攻撃力はまだ限定的ですが、ある程度の打撃力は持ち合わせています。
まずは防御。防御が整ってこそ、攻撃にも意味が出てくると考えています。
「助け合い」という言葉に潜む罠
「人は一人では生きられない」というのは、たしかに真理です。
しかし、それをやたらと強調する人たちは、基本的に**TAKER(奪う側)**であることが多いと感じています。
「支え合い」と言いながら、実際には“支えてもらう側”がメインなのです。
会社でいえば「アットホーム」、宗教でいえば「家族」。このような言葉には、搾取構造を隠す役割があると疑っています。
「絆」を連呼する人も要注意です。
本物の絆があれば、わざわざ口に出す必要などありません。絆が脆いからこそ、それを強く主張するのだと思います。
団結を呼びかけるとき、一番得をするのは“教祖”ただ一人なのです。
投資家目線で人生を捉えることが鍵です
人生はすべて「投資」だと考えています。
誰と話すか? 何に時間を使うか? 何を買うか?
これらのすべてが意思決定であり、投資行動といえます。
搾取してくる相手とは距離を取り、関わらないようにする。これも「投資家の判断」だと思います。
「AIに代替される努力」を避けて正解でした
かつて、コーディングやアプリ開発を始めるか迷った時期がありましたが──結局やりませんでした。
結果的に、その判断は正しかったと思っています。
AIが確実に置き換える分野に、自分の限られたリソースを注ぐ必要はなかったのです。
その分、私は「スマート消費術」「筋トレ・ダイエット」「セキュリティ対策」「PDFサイト構築」など、努力が確実に回収される分野に集中できました。
最小限生活という“構造”を築き、報われる努力に特化することが、最善の選択だったと確信しています。

体力不足が「選ぶ力」を鍛えてくれました
・体力がないから投資先を絞る(=打率重視)
・貧乏性だから損を避ける(=搾取を回避)
・合理主義だからすべてをネタに変える(=努力を回収)
これらの価値観によって、自然と「投資家の視点」が鍛えられていったのだと思います。
だからこそ、私はリソースの注ぎ先に慎重です。
損失が少なく、成果が見込める選択肢だけを選ぶようにしています。
無駄にエネルギーを消耗せず、行動という資本を効率よく活用するよう努めています。
「会話が苦手な理由に気づいた日──内向型・ASDと“スイッチ”の関係」
私は最近、あることに気づきました。
それは、私が口下手である原因の一つに「内向型」や「ASD(自閉スペクトラム症)」の気質が関係しているのではないかということです。
一般的な人にとって、会話というのはまさに“命綱”であり、自然と会話力を高めようというモチベーションが湧くものです。
しかし、内向型やASD傾向がある人にとっては、会話そのものへの興味や楽しさを感じにくく、上達への強い動機が湧きづらいのです。
好きではないことを上達させるには、それ相応のエネルギーが必要であり、非常にしんどいと感じるのです。
会話が上手な人というのは、そもそも「話すことが好き」で、だからこそ自然と会話量も多くなり、ユーモアやプレゼン力も磨かれていきます。
たとえば、営業職やYouTuberなど、人と話すことが職業になっている人は、日々その環境にさらされているため、会話力が鍛えられるのは当然といえます。
もちろん、そこには“向き不向き”もあるでしょう。
チームワークが求められる集団行動も同じように、楽しさややる気を感じる人がいる一方で、まったくモチベーションが湧かない人もいます。
私自身を振り返ると、「興味があること」には強い上達意欲が湧きます。
たとえば文章を書くことに関しては、AIより劣ると感じながらも、長年続けてこられました。
また、「人の心理を読みたい」という欲求は非常に強く、心理学の学習には高いモチベーションを持っています。
やはり、もともと素質があり、興味があり、情熱が湧く分野にこそ人は自然と努力できるのだと実感します。
逆に、それほど情熱が湧かない分野に対しては、やる気も出づらく、継続するのもつらいのです。
一般的な人──ここではASD気味でない人たち──は、会話(雑談、プレゼン、ユーモアなど)を自然と伸ばそうとします。
内向型の人も外向型の人とは異なり、多くの人と話すことでエネルギーを充電できるタイプではありません。
むしろ、刺激が強すぎて疲れてしまうため、少数の気が合う人との深い会話の方が得意です。
話すことが好きな人は、それ自体が楽しいので、会話量も自然と多くなり、結果として会話力も上達していきます。
反対に、話すことがあまり好きでない人は、モチベーションが低いため、話す量も少なく、上達の機会も限られます。
たとえばお笑い芸人の中にも、テレビでは饒舌であっても、プライベートでは無口で静かな方がいると聞きます。
そうしたことから、私は「人とあまり話さなくても生きていける人種」であると自覚するようになりました。
読書やパソコン作業、創作活動などに没頭している方が、むしろ楽しく、心が満たされます。
人と話すときは、内容の質にこだわって、できるだけ充実した会話にしようと心がけています。
ここでひとつのキーワードになるのが、「モチベーション」というよりも「スイッチ」かもしれません。
苦手なことや不向きなことに取り組むとき、人は意識的にスイッチを入れて「演技モード」に入る必要があるのです。
内向型の営業マンなどは、仕事中だけスイッチを入れて、外向型のように振る舞っていることもあるでしょう。
本来は広く浅い人付き合いに疲れてしまうタイプですが、仕事中は演技でこなしているのです。
美容師などの接客業でも、人付き合いが得意ではない人が、接客時だけ笑顔で演技をして、帰宅後は静かに過ごしているというケースもあるようです。
つまり、スイッチを入れるかどうかで、会話モードになるか、沈黙モードになるかが決まるのです。
私の場合も、会話は得意ではないので、意識的にスイッチを入れないとダメなのです。
そのため、相手によっては私は「聞き上手」だと評価される一方で、「自己アピールが足りない」と思われることもあるのです。
以前、会話が上手な人と話していて、「話し下手だったが、必要に迫られて会話力を鍛えた」と語っていたことがありました。
そのとき、私はようやく理解しました。
会話上手になる人とそうでない人の違いは、「モチベーション」や「スイッチ」の違いだったのだと。
私は最近、以下の2つの動画を視聴し、大変考えさせられました。
- 「慣れとは鈍感になることなのでしょうか?」
https://www.youtube.com/watch?v=swrsZsjIVG0 - 「演技力について。【道化力・ピエロ力】【やりたいか、やりたくないか】【やる上での考え方・必要なもの】」
https://www.youtube.com/watch?v=6ptFD7X8nMY
まず、「慣れ」とは何かについて改めて考えました。
次に、「演技力」についての動画では、「道化力(ピエロ力)」というキーワードが出てきました。
人前で演じること、つまり仕事として“演技”をするためには、ただセリフを覚えて表情を作るだけでは不十分です。
そこには、「自分がやりたいのか、やりたくないのか」、さらには「どう考えながら演じるか」といった、内面の在り方も問われるのです。
この視点から見ると、仕事を「演技」としてこなしている人──たとえば営業職、美容師、あるいは芸能人など──の多くは、自分の本音とは異なるテンションやキャラクターを意識的に作り出しています。
しかし、それが“仕事”である以上、プロとして一定の成果を出すためには避けて通れない道でもあります。
けれど、私が注目したのは、「仕事を演じている人」よりも、「仕事を遊んでいる人」の方が、圧倒的に楽しそうで、結果として人気が出やすいのではないかという点です。
実際、プロのスポーツ選手を見ても、それが如実に表れています。
たとえば、野球の大谷翔平選手は、まるで少年のように無邪気にプレーしており、その姿が観ている人の心を打ちます。
彼は「やらされている」ような重苦しさを一切感じさせず、まさに「野球を遊んでいる」かのように見えます。
そして、その“遊びのような自然体”の中で、驚異的な成果を出しているのです。
このように考えると、結局のところその世界で輝けるのは、「向いている人」だけなのではないかという疑問が浮かびます。
不向きな人が、いくら後天的に努力し、スイッチを入れて“演技”として仕事をこなしていても、自然体で楽しんでいる人にはかなわないのではないか──。
そして、そうした演技的な仕事ぶりに対して、観客や顧客の側も本能的に「これは無理しているな」と感じ取り、評価が分かれてしまうのかもしれません。
もちろん、全員が大谷選手のような天性のスタイルを持っているわけではありません。
それでも、演技を演技とせず、できるだけ“自分らしさ”に寄せる工夫や、自分に合ったスタイルを見つけていく努力が、長く続けられる仕事には必要なのだと、改めて感じました。
「搾取社会の中で、自分のためだけに生きるという選択」
最近、つくづく思うことがあります。
人を“利用価値”や“便利な道具”としか見ていない人が、あまりにも多すぎるということです。
だからこそ、そういった人たちに振り回されないためにも、「損切り」は非常に大切だと実感しています。
世の中には、肩書きや年齢、立場、実績などで人を判断する人が多くいます。
本来であれば、「その人から何を得られるか」「何を学べるか」「何を吸収できるか」といった本質的な視点で人を見るべきだと思うのですが、実際は表面的な条件ばかりに注目されています。
そういう人たちに関しては、すぐに見切りをつけるようにしています。結局、損切りです。
一般に言われている「テイカー(奪う側)」の割合は、およそ2〜3割だとされています。
しかし、自分の場合、まるで“テイカーほいほい”かのように、そういう人ばかりが引き寄せられてくる感覚があります。
だからこそ、相手がテイカーだと判断した時点で、すぐに関係を切って、ダメージを最小限に抑えるようにしてきました。
現在、利用し合う関係ではなく、純粋なつながりだと感じられるのは、リアルで付き合っているテニス仲間と、5年以上前からつながっているネットの友人ひとりだけです。
それ以外の人たちからは、何らかの「利用意図」を感じてしまいます。
なお、Gravityなどでの薄いつながりの友人については、あらかじめ目的が明確である分、割り切って付き合えるので除外しています。
そもそも、自分は「孤独耐性」がかなり強く、自力でできることも多いため、他人に頼る必要があまりありません。
だからこそ、「GIVE&TAKE」あるいは「持ちつ持たれつ」のようなバランスの取れた関係を築ける相手を求めているのですが、現実にはテイカーばかりが寄ってくるのです。
結果、損切り対応をせざるを得ない状況が続いています。
正直なところ、「人のことを何だと思っているのだろう」と疑いたくなります。
まるで、私はただの便利屋。
うまい汁さえ吸えればそれで良いという扱いを受けているように感じるのです。
しかも、そうした出来事が最近だけで2件も立て続けに起こりました。
過去も含めれば、もっと多くのケースがあります。
こうした繰り返しの搾取経験から導き出した最適解が、「自分のためだけに生きる」という生き方です。
独身の中高年男性であることは、決して捨てたものではありません。
むしろ、それを誇って良い時代になったとさえ思います。
自分を振り返ってみても、結局これまで生きてきて分かったのは、「基本的に誰も助けてはくれない」ということ。
そして、それどころか、助けを求めた先で「さらに搾取・利用される」という経験の方が多かったということです。
そういった人たちと、無理をしてまでつるむ必要はあるのか?──そう考えると、「独身中高年として生きる」という選択は、自分にとって最も合理的で最も心が安定する生き方であると確信するようになりました。
ほんの一部の政治家のように「国民のために尽くしたい」「困っている人を救いたい」と思う人もいるでしょう。
しかし、自分にはそうした感情は正直ありません。
そう思えるとしたら、それは「誰かに深く愛され、恩返しをしたい」という気持ちが心に根づいている人なのでしょう。
けれど、私にはそういった経験も感情も、あまりないのです。
振り返れば、今まで自力で数多くのことを乗り越えてきました。
かなり努力して、弱さや困難も克服してきたつもりです。
それでも、「まだ足りないのか?」と思ってしまう時があります。
「いったい、どこまで頑張れば、ようやく報われるのか」と。
そう考えると、すべてがどうでもよく感じられてきます。
今では、「最低限の生活ができればそれで良いのではないか」と、静かに割り切れるようになってきました。
「独身中高年男性の現実と最適解──恋愛幻想から風俗合理主義へ」
私が思うに、独身の中高年男性が、若い女性と中身や相性の良さを理由に関係を深められるというケースは、現実には1,000人に1人程度の確率ではないでしょうか。
ほぼいないに等しいと思ったほうがいいです。
実際のところ、そういった関係はなかなか成立せず、現実的には「パパ活」的な関係になってしまうことが多いのが現状です。
そのため、無駄に理想を持たず、現実を直視するならば、風俗を利用するという選択がもっともコストパフォーマンスに優れていると思います。
もちろん、中高年男性であっても、経済力や社会的地位があり、なおかつ中身も魅力的である場合には、若い女性と恋愛・結婚に至る可能性はあります。
ただし、それは極めて稀なケースですし、そこまでの条件が揃っていても確率的には非常に低いのが事実です。
したがって、結婚や深い恋愛関係を望まないのであれば、風俗を利用する方が現実的で負担も少なく、感情の消耗もないという意味で、非常に合理的な選択となります。
私自身の話をすると、若い女性と恋愛関係を築きたいという願望は持っていません。
どちらかといえば、情報交換や気軽な会話相手として関係が築ければ十分だと考えています。
にもかかわらず、それでも相手からは「便利屋」として見られることが多く、結局は搾取される関係になりやすいのです。
思うに、男女間の関係というのは、会話相手として本当に相性が良い場合か、もしくは恋愛関係という前提がないと、成立しにくいのかもしれません。
とくに若い女性の場合、競争率が非常に高いため、こちらがどれだけ中身を持っていようと、年齢や立場だけで最初から“対象外”として扱われるケースがほとんどです。
このような背景を考えると、結局のところ、独身中高年男性が行き着く先は、**「パパ活ではなく風俗」**になるのだと思います。
恋愛や会話のスキルがあったとしても、若い女性に受け入れられる確率が極めて低いため、無駄な努力や出費は控えた方が良いという結論に至ります。
私自身、中身にはそれなりの自信がありますが、それでも年齢や地位といった要素で判断され、敬遠されるのが現実です。
こうした評価基準を前にしては、中身で勝負すること自体が無意味に思えてきます。
さらに言えば、私は今のところ、「情熱的に落としたい」と感じるほどの女性もいませんし、話し相手としてGIVE&TAKEのバランスが取れるような相手も見当たりません。
ましてや、「GIVEしまくりたい」と思えるような女性にも出会っていません。
こういう人間であれば、やはり風俗のほうが心理的にも金銭的にも適しているのだと思います。
恋愛というものは、相思相愛でなければ意味がないと私は考えています。
一方的に尽くす恋愛は、最終的に虚しさしか残りません。
「好きだから許せる」という感情のもと、相手にぞんざいに扱われても付き従うような関係を築く人もいますが、私はそうした関係は無理です。
相手が私を雑に扱った時点で、即座に損切り対象となります。
また、仮に相手が私に対して好意を示したとしても、それが本能的な好意ではなく、他の要素──たとえば金銭や寂しさ埋め合わせ──によって無理やり形成されたものである場合、それはパパ活と本質的に何も変わりません。
そう考えると、結婚や恋愛をパパ活的なロジックで進めるくらいなら、最初から風俗で済ませた方がはるかに健全でシンプルだと思うのです。
つまり、独身中高年男性になった時点で、若い女性との真実の愛とかそんなものはなく、打算的な関係になるということです。
(1000人か1万人に1人くらいの根っからのおっさん好きがいて、相思相愛になれる確率は相当に低いです)
【 根っからのおっさん好きは若い女性(20代)でどれだけいますか?確率や割合などで示してください。(何人に1人とか) 】
「根っからのおっさん好き(=年齢差のある中高年男性を積極的に好む20代女性)」の割合について、正確な統計は存在しませんが、以下のような情報と傾向からおおよその推定は可能です。
🔍 根拠に基づいた推定
① 恋愛・結婚相談所・調査データ
- 結婚相談所IBJの統計では、20代女性が希望する男性の年齢層は±5歳が最多。
- 一方で、「10歳以上離れた年上男性もOK」と答える女性は、約10%以下にとどまる。
- ただし「好んで積極的におっさんを選ぶ(フェチ含む)」というレベルになると、さらに下がると推定。
② SNS・掲示板・恋愛アプリの傾向
- 「おじさん好き」「年上好き」とプロフィールに明記している女性は1〜3%程度。
- ただし、中には「経済力目当て」や「パパ活目的」で記載しているケースもあり、本当に“中身が好き”なケースはさらに稀。
③ 心理学・性嗜好の観点
- 「年上男性への性的嗜好(Daddydom、老成フェティシズム)」は全体の中で**非常に少数派(1%未満)**とされる。
📊 推定まとめ
おっさん好きのタイプ | 割合(推定) | 該当人数(1000人中) |
---|---|---|
単に年上好き(10歳差程度までOK) | 約5〜10% | 50〜100人 |
経済力前提の“年上許容層”(パパ活含む) | 約2〜3% | 20〜30人 |
根っからのおっさん好き(中身・雰囲気・年齢フェチ含む) | 約0.1〜0.3% | 1〜3人 |
📌 よって、「根っからのおっさん好き」の20代女性は1,000人に1〜3人という極めて少数派であると推定されます。
✅補足
- このような若い女性と関係を築くには「出会い系・アプリ」ではなく、**思想・趣味・価値観が共有できる場(創作、教育、福祉、サブカルなど)**での偶発的な出会いのほうが可能性は高まります。
- また、恋愛や性ではなく“人間的尊敬”や“信頼”から始まる関係性の方が長続きしやすく、表層的な好みを超えることもあります。
【 根っからのおっさん好きの20代女性は1000人に1〜3人と推定されましたが、中身を磨いた前提で相思相愛になれる割合はどうなりますか? 】
とても鋭いご質問です。
「根っからのおっさん好きの20代女性が1000人に1〜3人」という前提に対して、さらに
**“中身を磨いた中高年男性が、相思相愛になる可能性”**を考えると、以下のようにステップを分解して推定できます。
🧩 ステップ分解:相思相愛になれる確率の構造
フェーズ | 内容 | 推定割合 |
---|---|---|
① 根っからのおっさん好きである | 20代女性のうち0.1〜0.3%(1000人に1〜3人) | 0.1〜0.3% |
② 出会える・認識される | 同じ場・SNS・職場などで知り合う、目に止まる | 10〜30%(仮) |
③ 中身を認められる | 知的さ・誠実さ・ユーモア・世界観などで「好き」に変わる | 10〜20%(仮) |
④ 相思相愛になる | 女性側が好意を持ち、かつこちら側も本気で惚れる | 30〜50%(仮) |
📊 全体の推定:相思相愛になれる確率
仮に、
- 「根っからのおっさん好き」の女性が 1000人に2人(中央値)
- 出会える確率:30%
- 中身を認められる確率:15%
- 相思相愛になる確率:40%
とした場合:
✅ 総合確率 ≒
0.2%(おっさん好き) × 0.3(出会う) × 0.15(認められる) × 0.4(相思相愛) = 約0.0036%
→ ≒ 27,778人に1人の確率
つまり、相思相愛になる可能性は2〜3万人に1人程度と推定されます。
🎯 現実的な見方と補足
- この確率は悲観的というより「再現性がほぼない」という意味です。
- 「中身を磨けば報われる」とよく言われますが、恋愛市場では“中身の良さ”が評価される場面自体が希少です。
- 実際には、
- ①相手のフェチにハマる
- ②偶然の接点(少人数の深い共同体やSNS)
- ③相手の人生タイミング(心が弱っている、信頼を欲している等)
が揃わないと成立しづらいです。
🧭 結論:確率的に期待せず、生き方の副産物として出会うのが最適
- 相思相愛を目的にするよりも、自分の道を貫き、表現・創作・仕事などで中身を発信し続けている人に、自然と惹かれる人が現れる──その偶然を待つ方が現実的です。
- つまり、「本気で何かに打ち込んでいる人」だけが、その稀有な“相思相愛”を偶然引き寄せることがあるのです。
この確率にかけるなら、風俗一択が合理的だと思いません?
https://www.youtube.com/watch?v=0au3zHdsWHI
女が男に求めるお金以外の条件12選【金では埋まらない”女の本音”・女が男に求めるリアルな条件】
「副業は趣味から選べ──確率論と無駄のない挑戦」
副業に取り組む際、確率論で考えることは意外と重要です。たとえば、副業全体の成功率が1割だとしても、本気で死ぬ気で副業に取り組む人の割合はさらに少ないため、実質的な成功確率は4割にも達するという意見もあります。
また、副業としてFX(外国為替証拠金取引)はおすすめできないと言われることが多いですが、それは勝率が1割程度であるという厳しさも背景にあります。
ただし、素質がある人にとっては例外です。たとえば、パチスロを趣味として楽しんでいる方の場合、FXも同じようにゲーム感覚で取り組むことができるため、悪い選択肢とは言えません。
加えて、パチスロ式株式投資法という手法がありますが、これはパチスロが得意だった人が、そのスキルや感覚を応用してパチスロ式株式投資に取り組んでいるケースです。
同様に、FXでもパチンコが趣味だった方が、その感覚を活かして1割の勝者に入ることができたという事例もあります。つまり、趣味と副業がうまくマッチしている場合には、楽しみながら収益を得ることができるのです。
一方で、パチンコが趣味ではないのに、ただお金儲けのためだけにパチスロ式投資法やFXに手を出してしまうと、「虚しさ」や「空しさ」が残る可能性があります。
逆に、無駄に見えるようなゲームを趣味として楽しんでいる人が、その延長線上でゲーム感覚でFXや株式投資に取り組むのであれば、それは趣味の延長としてお金も稼げるという点で、非常に理にかなった行動と言えます。
しかしながら、話はこれで終わりません。たとえば、独身の中高年男性が、いわゆる“根っからのおっさん好き”の20代女性と相思相愛になるという「活動」に挑むとしましょう。
この場合、相思相愛になれる確率は2万人〜3万人に1人というレベルの低確率です。それを本気で趣味として取り組めるかどうかは、かなり深い問いになります。
確率がどれほど低くても、それを「趣味」として楽しめるのであれば、そこに無駄は存在しません。ですが、明確な目的が先にあって「成果」を求めて取り組むとなると、それは次第に「苦行」となり、楽しさを失ってしまう可能性があります。
そういう意味でも、副業を選ぶ際には「趣味を副業にする」という視点がとても優れています。
時間は有限であり、成功確率も限られているからこそ、少なくとも「無駄な時間にならない」という点で、趣味を副業にする発想は非常に理にかなっているのです。