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数字操作の時代に、確実な道を探す——セキュリティ修行への決意

どうも、太陽です。

 

私は今、人生の大きな分岐点に立っている。YouTubeでも、ブログでも、SNSでも、どれだけ努力しても数字が操作されている——そう確信するようになった。

これは妄想ではなく、実際に体験してきた結果としての結論だ。アクセス数も再生回数も、評価も、誰かの意図によって左右される。そんな不確かな土台の上では、真っ当に努力しても報われない。

だから私は悟った。数字が操作される時代において、生き残るためには「確実に課金されるモデル」しか意味がない。広告収入もアフィリエイトもKindle Unlimitedも、数字がいじられる世界ではすべて虚構でしかない。

だから私は、数字に依存しない「確実な道」を探す旅に出た。

 

Kindle Unlimitedもアフィリエイトも、すべて同じ構造の上にある。どれだけ読まれようと、どれだけクリックされようと、数字が改ざんされれば報酬は消える。

事実、私の経験では、アクセスが増えても報酬が増えないという矛盾を何度も目にしてきた。

こうなると、もはや「努力」よりも「システムの都合」が結果を決める世界だ。だからこそ私は考えた。——この妨害の中でも稼げるビジネスモデルはあるのか、と。

確かにクライアントワークは確実に金になる。だが、やっていて面白くないし、時給も悪い。創造性が削がれ、魂が乾く。

普通の人が気にしない部分で私は立ち止まり、考えてしまう。

「数字を信用できない時代に、何を信じて生きればいいのか。」

 

マッチングアプリでも同じことが起きた。

いいね数が500を超えたところで突然減少し、今では359。同じマッチングアプリの別アカウントは70から4へと激減した。自然減では説明がつかない。

これを目の当たりにして、私は「数字が操作されている」という確信をさらに深めた。

そして悟った。若い女性が主な利用層のマッチングアプリに、私が居続ける意味はない。

なぜなら、私の発信するコンテンツはほぼ男性向けだからだ。ターゲットの違う場所で努力しても、結果は得られない。

 

行動で示す、本音の人生

「実際に行動している姿こそ、その人の真の姿である。」

言葉より行動だ。どんな理念を語ろうと、最終的にその人が“何を選び、何を捨て、どう動いたか”がすべてを語る。

私はスマート消費術、ダイエット・筋トレ、そしてセキュリティ自衛を実践している。本気で良いと思うからこそ、それを体系化し、ノウハウとして販売している。

自分が金を払った商品やサービスには、確かな価値を感じている。

そして、自分自身もそうありたいと思っている。

 

Amazonの購買が減り、TemuやAliExpressへ移ったのも本音だ。

iPhoneから中華端末へ移行したのも、WindowsからLinuxへ変えたのも、映画を年に3本以下しか観ないのも、すべて本音だ。

テレビを持たず、見ないのも、徹底してセキュリティとプライバシーを守るのも同じく本音。

PayPayを使わないのも、LINEからSessionへ移行しようとしたのも、楽天アプリを削除したのも、すべて実際の行動だ。

プロバイダを変え、Kindle出版やBoothをやめて自分のブログでPDFを販売するようになったのも、心からの選択だ。

嫌がらせの気配を感じたら、すぐに離れる。それもまた本音だ。

私は常に「言葉よりも行動」で示してきた。

 

自分で「やる」と言ったことの約8割は実行している。

この“有言実行率8割”という数字は、単なる指標ではない。

実際に行動し続けると、言葉に重みが生まれる。「この人は本当にやる」と思われるようになる。

行動が伴えば、ハッタリではなくなる。言葉が現実に変わる。

人は行動でしか信頼を積み上げられない。だから私は、これからも“行動”でしか語らない。

 

セキュリティという“茨の道”へ

私は今、すべてをリセットしてセキュリティの道に進もうとしている。

5年、いや10年かかっても良い。妨害を受けようが、数字を操作されようが、スキルと技術だけは誰にも奪われない。

だが、この道は間違いなく苦難だ。年齢的にも若くはない。浪人生活のような孤独な日々が続くだろう。金も時間も余裕もない。だが、他に道が見当たらない。

それでも、この道を選ぶ価値があると思っている。なぜなら、セキュリティは「数字に依存しない」からだ。努力がそのまま実力に変わる、数少ない領域だ。SNSのアルゴリズムにも、誰かの意図にも左右されない。

さらに言えば、これはもはや「仕事」ではなく「趣味」に近い。好きだから続けられる。失敗しても悔いはない。

 

SNSで発信を続けているのは、まだコンテンツビジネスへの未練があるからだ。

だが、セキュリティで確実に稼げるようになった時点で、SNSの必要性はなくなる。

ブログは備忘録として非公開化し、必要なら有料会員向けにだけ残す。

フォロワーも少なく、注目を浴びることに興味はない。

承認欲求もなく、誰かに見せるためではなく、自分のために生きている。

だからこそ、SNSから静かに姿を消す時が来ても、何の未練もない。

“雲隠れ”して、セキュリティ修行の世界に潜る。それが自分らしい生き方だ。

 

AI副業への諦念と悟り

AI副業にも望みをかけていた。

だが、仮に穴場を見つけても、すぐに真似され、競合が溢れ、稼げなくなる。監視社会の中で、創意も努力もコピーされて消える。

だから悟った。人と争わず、競合しない領域で技術を極めるしかない。

“誰にも真似できないスキル”を身につける以外に、生き残る道はない。

AI副業は、常に海の上に浮かぶような不安定なビジネスだ。

私は、地中深くに根を張るような安定を求める。それがセキュリティの道である。

 

苦難を受け入れる覚悟

この道は地獄のように厳しい。

過去も十分に苦しかったが、これからはさらに上を行く試練が待っている。

だが、人間は本当に追い込まれたときにこそ力を発揮する。

退路を断ち、「これしかない」と思い込んだとき、迷いが消える。

余裕がなくなると、無駄な感情や人間関係が自然に削ぎ落とされ、行動だけが残る。

私は「余裕がない」と悟ってから、読書や勉強が一気に捗るようになった。

雑念が消え、目的だけが浮かび上がる。

浪人生が他人に構わず勉強に没頭するように、私も完全に集中して歩むしかない。

他人の目や評価ではなく、ただ“自分の道”に集中する。

 

終わりに

この世は、時に地獄のように理不尽で、努力が報われない。

だが、それでも歩みを止めてはいけない。

数字を操作されようが、妨害されようが、自分の信じる道を進むしかない。

セキュリティという茨の道は、私にとって“最後の希望”であり、“唯一の自由”でもある。

そして何より——私は行動で生きてきた。

言葉ではなく、行動が私の本音だ。

静かに、目立たず、確実に。

SNSの喧騒を離れ、光の届かぬ場所で、自分を鍛え続ける。

それが、数字操作の時代における、私なりの生存戦略である。

 

(計画段階ですが、実行の可能性はそれなりにあるプランです)

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