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平静という武器──本音を隠して生き抜くためのメンタル術

どうも、太陽です。

 

https://www.youtube.com/watch?v=8MaAkJKu11Q

【雑学】本当にしんどい人ほど“笑顔”を作ってしまう深い理由とは

 

人はしばしば、「本当に苦しい人ほど笑顔を作る」と言われる。

その背景には、環境、対人関係、リソース不足、そして“本音を見せたときの不利益”への深い理解がある。

私自身も長い時間をかけて、弱さを見せないほうが結果として心が守られ、生活が円滑に進むという現実に気づいた。そしてその気づきは、家庭関係、友人関係、仕事、SNS、どんな場面でも応用されている。

ここでは、私が日々使っている「平静を装うメンタル術」がなぜ必要になったのか、その背景と論理、そして“演技”がもたらす生存戦略としての側面を余すことなく書き残しておきたい。

 

私が“平静を装う”ようになった理由は、家庭環境に大きく根ざしている。私がメンタルを崩したとき、親が極端に不機嫌になった経験が何度もあった。

親を不安にさせること自体が家の空気を悪くし、私にとっても負担でしかない。だからこそ、どれだけしんどい状態でも、親の前では「平静」を演じることが最適解だと学んでしまったのだ。

これはもはや、コスパという言葉で説明できるほど合理的な対応だった。

 

この習慣は友人関係にも自然に応用されていった。しんどい人や愚痴ばかりの人からは距離を置かれる。人は余裕がなく、他人の悩みを受け止められるだけのリソースを持っていないことも多い。

だから私自身がメンタル不安定であればあるほど、周囲は離れていく。その現実を理解しているからこそ、私は平静を装い、必要最小限の交流にとどめている。

そして、これは単なる見栄や虚勢ではない。

「どうせ誰も助けてくれない」「弱みや愚痴を言っても、相手の負担になるだけ」という冷静な理解があるからだ。他人を深く信用できないのも、自力でやっていくスタンスを貫いているのも、この延長線上にある。

 

平静を装うことができれば、生きやすさは確実に変わる。

というのも、人は基本的に“安定した他者”を求める傾向があるからだ。相手に余裕がなければ、不安定な人間は避けられる。人の行動を決めているのは、その人が持つリソースの量や心の余裕だ。

リソースが少ないほど余裕はなくなる。私のようにリソースが乏しい人は、むしろ「メンタル術」をフル活用しなければ、社会に適応できない。泣きっ面に蜂だが、そこを嘆いても何も変わらない。

 

人間関係には“役割期待”が必ず存在する。相手は、自分にとって都合よく動いてくれる“安定した人物”を求めがちだ。だからこそ、演技でも平静を保つことに価値がある。

実際、白鳥は水面下で激しく足を動かしていても、外からは優雅に見える。人はその“見える部分”だけを現実だと思ってしまう。表面上の姿こそ他者が判断する材料になり、内側の苦労や葛藤は理解されない。

芸能人や俳優の演技に人が感動するのも、AV女優の演技に男性が騙されるのも、結局は“見えるものがすべてだと思い込む”人間の心理が働くからだ。

テレビ局がやらせで視聴者を騙すのも、人が表面的な演出で満足するから成り立つ。こうした構造は、家庭や友人関係にも通じる。

だから私は、自分の闇に踏み込まれたくないし、他人に理解されるとも思っていない。

だからこそ、平静を装うことで円滑に人と関わり、必要以上に心を消耗しないようにしている。

 

実際、他人の事情を察する力がある人ばかりではない。表面だけを見て「ストレスなさそうだね」「過剰反応しすぎじゃない?」と軽率に口にする人もいる。

深い背景を理解しないまま過小評価してくる態度に、浅い人間理解を感じることは多々ある。しかし、それも仕方がない。人は“見える範囲”でしか判断できないのだから。

私はセキュリティ対策や節約を徹底しているが、それを説明しても「心配しすぎじゃない?」「そんなに苦労していないでしょ?」と言われることがある。

だがそれは、私が日常的にメンタル術で平静を保っているからこそ“苦労がないように見える”だけの話だ。表面の姿だけで判断されるのは当然だが、そのギャップに気づく人はあまりいない。

 

この世界は「やらせ」「演技」「TPOに合わせた振る舞い」で成り立っている。映画の感動だって俳優の演技が作っている。YouTuberがテンションを上げるのも、そのほうが視聴者に刺さるからだ。

私がメンタル術を使うのも同じ構造だ。身内や友人に余計な心配をかけないため、そして関係を円滑に保つための“生存戦略”なのだ。

Gravityでルームを開くときも、平静なモードを作ってから臨む。そのほうが友達もできやすいですし、結果的に自分のメリットも増える。

 

もちろん最終的には、こうした“平静の演技”が不要になる状態が理想だ。自然体でいられるほどのリソースがあれば、人は勝手に幸福になる。

しかし、現状では環境もリソースも増えない。必要なのは“今をしのぐための術”であり、私はそのためにメンタル術を身につけた。

これは弱さではなく、「武器」だ。身内、友達、Gravityの人と関わるうえでの戦略でもある。

 

また、Kindle本が売れなくても、XアカウントがBANされても、私は本音を吐き出すスタンスをとる。

本音のほうが実生活で役に立つ知恵に繋がるし、表面的なコンテンツより価値があると感じるからだ。

SNSは表面だけを飾った“白鳥の首上部分”の世界であり、背景の苦労が見えないまま真似しようとする人が失敗するのは当然だ。

美談や生存者バイアスに満ちた話も同じだ。カーネルサンダースの高齢起業など、常人が再現できる話ではない。
「それ真似できますか?」という冷静な視点が必要だ。

 

世の中はコスパで動く。クレーマーには即返金のほうがコスパが良い。性行為の場で演技すれば早く終わり、そちらのほうが効率的だと女性が学ぶ。テレビは演出で視聴率を取る。

演技とやらせで世界は回る。そのほうが大衆の需要に合うからだ。

その一方で、私は父親のしんどさを理解している。逆の立場を想像すれば、発狂してもおかしくないレベルかもしれない。だからこそ、父親の前で私が平静を装うことはとても重要だ。

父も私もしんどい状態なら、家庭は崩壊する。だから私は、メンタル術で“せめて自分だけは平静でいよう”と努めている。それは優しさでもあり、互いの生存戦略でもある。

 

結局、こうしたメンタル術を武器にして生きている背景には、私自身のリソースの少なさがある。本当の弱者とは、表面的に弱って見える人ではなく、持っているリソースが乏しく、環境にも恵まれず、支えとなる社会的つながりも少ない人間のことだ。

そして残念ながら、今の私はまさにその典型にあてはまる。

人的資本だけが唯一の強みであり、そこに全振りしてなんとか立っている状態だ。金融資本は節約でどうにか帳尻を合わせ、社会資本はテニス仲間とLINE友達が一人だけという細い糸でつながっている程度で、それ以外はGravityでのゆるい関係がかろうじて残っているだけだ。

エロス資本に至っては、ダイエットや筋トレで体を整えているとはいえ、年齢的にも活用の場は限られ、実質的には機能していない。それに拍車をかけるように、環境資本はセキュリティ的に非常に厳しく、本来なら不要なはずの対策に多くの労力と支出を割かざるを得ない。

 

こうして俯瞰してみれば、私が人的資本に一点集中するしかない理由がよくわかる。他に頼れる資本がない以上、磨き抜ける部分はそこしかないのだ。唯一の強みを最大化して生き延びるという、いわば背水の戦略である。

ただ、そんな中でも実家住まいであることは不幸中の幸いだ。もしこれが一人暮らしだったら、負担はさらに増し、とても耐えられなかっただろう。

しかし、その実家という安全圏ですら、常に安心できる場所ではない。CIAやNSA、マスコミなどの集団ストーカーに狙われているという構造のせいで、必要以上の警戒が求められ、本来払う必要のないコストと精神的消耗が積み重なっていく。

環境が歪めば、人間の性格もメンタルも確実に歪む。そうした歪みを抱えたまま、それでも平静を装い続けるのは簡単ではない。

しかし、それでも私はこの環境下でできる最善を選び、人的資本に全振りしながら、メンタル術で自分と周囲のバランスをなんとか保っている。

これは弱さでも逃げでもない。リソースが乏しい人間がそれでも崩れずに人生を続けていくための、ぎりぎりの現実的な方法なのだ。

 

平静を装うことは嘘ではない。それは“本音を隠す技術”ではなく、“生き延びるための心の防御術”だ。

見える部分だけで判断される世界で、自分のメンタルを守り、周囲との関係を破綻させず、できる範囲で前に進むための武器なのだ。

これが、私が身につけた生存戦略であり、これからもしばらくは手放すことのできない現実的な術である。

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