どうも、太陽です。
多くの人は「大金を稼ぐこと」を人生の目的のように語るが、その理由を丁寧に分解すれば、突き詰めて必要な額は驚くほど小さい。
現代の資本主義社会では、収入の大きさがステータスとなり、能力の証明や見栄の象徴として扱われる。
しかし、もし欲望が小さく、自力で工夫し、節約し、金では買えない能力の構築に興味を持つ人間であれば、大金を目指す必要などほとんどない。
むしろ、莫大な収入を長期間維持する困難さと比較すれば、節約のほうが圧倒的に楽で、人生をコントロールしやすくなる。
本稿では、私自身の経験と問題解決の視点から、「最小コストで最大の平安を得る生き方」について深く掘り下げていく。
大金を稼ぐ理由は、本来、何かを消費するためである。それ以外の理由は、資本主義社会の勝ち組として認められたいという欲求や、単なる見栄、あるいは能力を世間に証明したいという意味合いにすぎない。
実際、本当に人生を回すために必要な金額はそこまで大きくない。「何のために大金が必要なのか?」という問いを正面から見つめれば、大半の人が思っているほどの金額は要らないことがわかる。
逆に言うと、欲しいものがほとんどなく、工夫や節約を楽しむことができ、金で買えない能力構築に興味があるならば、生活は最小限の収入で十分に成り立つ。
大金を稼ぎ続ける難しさと持続性を考えると、それを追い続ける人生は相当な負荷がかかる。一方、節約の技術を磨き、作りたい生活に合わせて支出を調整する生き方は、はるかに容易で、安定し、精神的にも健全である。
もちろん、膨大な借金など切羽詰まった事情がある場合は、その返済のために稼ぐ必要がある。しかし、借金もなく、強い物欲もないなら、大金はそこまで必要ではない。
工夫の鬼である私は、金を使う場所が年々減り、暮らしのランニングコストは最小化していった。
本当に必要だと感じるのは、軽バンやキャンピングカーのような、災害時に役立ち、逃げ場としても機能する装備である。
一台家にあれば、もしものときに命を守る避難ができる。最終的にどうしようもなくなったら家を捨てて安全な場所に移動すればいい。しかし運転免許を持っていない以上、その選択肢は私にはない。
YouTubeで「熱海の漁港で軽バン車中泊」の動画を見ていると、軽バンで自然の中を移動し、その土地の空気を吸いながら暮らすスタイルに惹かれる自分がいる。
熱海の漁港で軽バン車中泊、海鮮を食べながら静かに夜を楽しむはずが…
もし免許が取れていたなら、軽バンを改造してあちこちを旅しながら車中泊していたかもしれない。自然が好きな私にとって、それは理想的な生活の一つだった。
しかし現実には免許取得ができないため、完全在宅のライフスタイルを選択し、ガジェットを集め、改造し、技術を深める遊びにはまっている。
そんな試行錯誤のなかで、私は人生における最適解が見えてきた。それは、最低限の収入で成り立つライフスタイルを作ること、セキュリティ術やメンタル術を身につけること、そして住居を重視した生活か、軽バンやキャンピングカーで移動する生活かを選ぶことだ。
どちらを選ぶかは、引きこもり型か行動型かの違いにすぎないが、災害時の強さを考えると後者も魅力的だ。
また、最低限の収入で暮らせるようになれば、趣味を仕事にすることも可能になる。YouTubeやブログを軸にした仕事はその典型例だ。
そして心理学を学び、コミュ力を身につけたうえで孤独も選べるようになれば、人間関係のストレスから自由になれる。
会社員や社長のように嫌な人間と強制的に関わらざるを得ない立場を避けることは、精神衛生上きわめて重要である。
人生の問題を解決するうえで、一時的な鎮痛剤(対症療法)が必要なときもある。しかし、最終的には根本治療(解決策)がなければ意味がない。
根本治療の存在を前提にしなければ、鎮痛剤だけでは問題が何度でもぶり返す。魚を釣り続けて与えるような支援は持続しないし、依存を生むだけだ。釣り方そのものを覚えさせるほうが、長期的には正しい。
現実には、鎮痛剤で少し楽になると油断し、根本治療に取り組まない人がいる。そういう人は問題が長期化し、何度も同じ悩みを繰り返す。
深刻な問題であっても、一時的に痛みを軽くしてから根本治療に進むのが合理的だが、その根本治療を避け続ける人間は、いつまで経っても前に進めない。
私自身、セキュリティ問題(CIAやNSAによる集団ストーカー問題を含む)に関しては、長年根本治療の方法がわからず、本にも載っていなかったため、すべて自力で調べるところから始まり、解決までに途方もない時間がかかった。
しかし最近になってようやく本質的な防御術が見えてきて、問題の終息が現実的になってきた。端末の初期化は鎮痛剤にすぎず、根本治療とは言えなかったことが、ようやく理解できた。
根本治療の方法を知らずに努力している人には見込みがあるが、そもそも根本治療に向き合う意思のない人は、他人を巻き込み、無限に依存し、周囲を疲弊させる。
ダイエットや筋トレ(1年間継続は4%)のように、解決策がわかっていても実行の継続が難しい領域は多いが、努力するかどうかは本人次第である。
問題解決屋の視点からすると、一時的な鎮痛剤(愚痴聞きなど)の役割を求めてくる人には距離を置くのが最善だ。
有料ならば引き受けてもよいが、無料で他人の感情ケアに時間を使う気はない。自分自身が根本治療の最中であり、抱えられる重荷には限界がある。
身内問題は特に難しい。高齢の親であれば介護として向き合う必要があるが、まだ中年でありながら根本治療に向き合わず、やる気がなく、対症療法ばかり求める人間を変えるのはほぼ不可能だ。
自分ですら変わるのに年月がかかり、負荷が大きいのだから、変わりたくない他人を変えることなどできるはずがない。
身内だからといって背負い込めば、こちらの人生が潰れる。距離を取り、関わる頻度を下げる、課題の分離を徹底するのが現実的な対処である。
私はこの数年、人生の構造改革を行い、自分の問題を一つずつ根本治療し、解決し、終わらせてきた。厄災は外部(日本の一部とアメリカの一部)からもたらされてきたが、それもようやく終わりが見えてきた。
さらに身内問題まで降りかかっても、これ以上の重荷を背負う気はない。自分の人生の進路を守るためにも、甘えと依存に巻き込まれない姿勢は不可欠だ。
私のKindle本には、節約、ダイエット、筋トレ、セキュリティの実践的な解決策を詳細に書いた。そこに道標は示してあり、後は各自が自己責任で進むしかない。
他人の人生まで背負う余裕はないし、背負うべきでもない。
根本治療を求めて努力する人間には手を差し伸べる価値があるが、対症療法だけを求め、文句を言い続ける人間には関わりを最低限にするのが双方にとって最善である。
大金を稼ぐよりも、人生の構造そのものを作り替え、問題を根本から治療し、軽くしていくことこそが本当の意味での“豊かさ”である。
必要最低限の収入で自立し、余計な人間関係を避け、身に着けた技術で自分の人生を守り抜く。そうした生き方ができたとき、最小のコストで最大の平安を手に入れることができる。
人生は鎮痛剤だけでは変わらない。根本治療によってのみ、静かな自由と穏やかな未来が開けていくのだ。