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インフレ税時代における幸福・不満・欲望・生存戦略――戦争でも革命でもなく、静かに生き延びるという選択

どうも、太陽です。

 

Gravityの議論ルームで「皆を幸せにする方法は何か」というテーマが出た。

一見すると理想的で人道的な問いだが、議論が進むにつれ、そこには人間社会の限界、知性の分布、欲望の構造、そして不満のはけ口としての思想が露わになっていった。

この文章は、その議論をきっかけに、幸福とは何か、なぜ「皆を幸せにする」ことが不可能なのか、そしてインフレ税時代をどう生きるべきかを、私自身の体験・観察・思考をもとに整理した記録である。

 

Gravityの議論ルームでは、「皆を幸せにする方法」として、極論的な意見がいくつも提示されていた。

代表的なものは、仮想敵を作ること、戦争を起こして社会をガラガラポンすること、既得権益を破産させてゼロからやり直すこと、富裕層から強制的に富を奪って貧困層に分配することなどである。

仮想敵としては中国や陰謀論的な存在が挙げられ、それに対して敵意や高揚感を抱くことで団結し、幸福感を得るという発想もあった。

しかし、仮想敵を作って高揚する姿は、どう考えても負のエネルギーであり、それは幸福とは呼べない。

不満や不安を外部に投影し、怒りで一時的に気分を高めているだけである。

 

戦争についても同様で、「戦争をすれば生きているだけで幸せを実感できる」という意見があったが、戦争は双方が消耗し、破壊し、再建に膨大なコストと時間を要する行為である。

破壊活動そのものであり、幸福を生むどころか、社会全体の余力を奪う。

戦争をするくらいなら、インフレ課税のほうが遥かに合理的だと感じる。

確かに戦争は領土や資源を奪える可能性があるが、デメリットがあまりにも大きい。

一方で、経済戦争、つまりビジネスや、スポーツの競争は、合法な枠組みの中で行われ、モノやサービス、価値を新たに生み出す。

ライバル企業に勝つ、ライバル球団に勝つ、個人として良い成績を出す。そこには報酬があり、建設的な側面がある。

戦争や仮想敵づくりで幸せになれるという考えは、単なる不満の逸らしに過ぎない。

 

また別の極論として、「スマホを持たない」「SNSを見ない」ことで比較の罠から抜け出せば幸せになれる、という意見もあった。

広い世界を知らず、小さな集団の中で上位にいられれば、それは確かに幸福かもしれない。

しかし、どんな集団にも絶対的な下位は存在する。

ほとんどすべての集団で最下位になる人もいる以上、「皆が幸せになる方法」は存在しない。

そもそも幸福は人それぞれであり、内面的な幸福度は測定が難しい。

理想が高ければ高いほど、現実とのギャップで不満や不幸を感じやすくなる。

一方で、「足るを知る」人は幸福になりやすい。

 

さらに極端な意見として、「不幸な人を消していけば、幸福な人だけが残る」というものもあった。

現実として、弱者男性が自殺しやすい傾向があるのは事実だが、仮に不幸な人が消えたとしても、残った集団の中で相対的に不幸な人は必ず生まれる。

構造的に解決不能である。

 

結局、これらの意見はすべて極論であり、そもそも「皆が幸福になる方法は存在しない」という前提があるからこそ、思考実験として出てきただけで、実現への本気度は低い。

そもそも、働いているだけで人は社会に貢献している。

他人がやりたがらないことを、金をもらって代わりにやっているわけであり、それ自体が立派な貢献である。

その上で余暇やプライベートも充実させたいし、税金も支払っている。

そこにさらに「社会を幸せにするために寄付やボランティアをしろ」という要求が乗るのは、お門違いだと感じる。

 

富裕層についても同様である。金持ちはリスクを取り、価値あるものを生み出したからこそ富を得ている。

その上で多額の納税もしている。再分配のためとはいえ、さらに寄付やボランティアを求められるのは過剰だと思う。

もちろん、非合法なズルをして金を得ている者は尊敬に値しないが、それは別の問題である。

 

現実的に見て、権力を握ったり、大きな富を築く過程で、完全にクリーンでいられる人は少ない。

多くの場合、何らかの傷やダークな側面を抱えており、違法行為も「バレていないだけ」で行っている可能性は否定できない。

これは金持ちの負の側面であり、その割合は不明だが、主観的には6割以上は何らかの傷を抱えていると感じている。

 

Gravityの議論ルームの主についても、私は「境界知能ではないか」と感じた。

現段階の社会では、あの知能水準でまともな仕事をするのは難しいだろう。

AI時代の到来によって状況が変わる可能性はあるが、少なくとも現時点では、「皆が幸せになる方法がない」ことは自明である。

それにもかかわらず、再分配によって金が勝手に降ってくるという発想に結びつくのは、平均や構造を理解する抽象的思考が苦手だからだと感じた。

 

その人は実際に福祉のお世話になっており、社会的にはフリーライダーの立場にあるが、そこに恥の意識はなく、むしろ「もっとお金が降ってきてほしい」と無邪気に思っているように見えた。

境界知能の人ができる仕事は限定されており、IQが平均以上の人たちの中に混ざると、理解や伝達のスピード差によって全体が停滞する。

そのため、「働いてもらわないほうがよい」という結論に至るのも、冷酷だが現実的だと思ってしまった。

 

境界知能はIQ70〜84とされ、人口の約14%、約1700万人いると言われている。

知的障害はIQ70未満、軽度知的障害はIQ50〜75程度で、日常会話はできるが抽象的思考が苦手で、複雑な話は難しいとされている。

日常会話ができるため、深い話をしない限り見分けがつかない。

抽象的な話題で理解が止まることで初めて分かる。

境界知能の人との接し方は非常に難しい。難しい話は理解できないだろうから、簡単な話で終わらせるしかないという現実がある。

 

こうした議論とは別に、現在の日本では「インフレ税」という形で、事実上の再分配が進む可能性が高いと感じている。

以下の記事にもあるように、例えば3%のインフレが起きれば、政府債務は年間40兆円、消費税16%分相当が目減りする計算になる。

3%のインフレを10年続ければ、政府債務は3割減る。

https://agora-web.jp/archives/260101044002.html

今年は「インフレ税」で社会保障改革が始まる

 

高齢者は貯金で金融資産をため込み、若者世代は将来年金がもらえないという不安から貯蓄を増やす。

これが悪循環を生んでいる。金融資産の7割を持つ高齢者の資産を、ステルス的に目減りさせるインフレ税は、政治的に現実的な選択肢になりつつある。

老人票が多い自民党にとって、露骨な課税は不可能であり、ステルスなインフレ税しか手段がない。

今後15年で50兆円も増える社会保障負担を、現行制度のまま維持できるわけがない。 

「期待は戦争」、つまり革命やガラガラポンで既得権益が没収されることに期待するよりも、現実的なのはインフレ税である。

 

話は変わるが、私は人とは違う変な趣味をいくつも持っている。

ChatGPTに質問し、それをPDFとしてまとめる趣味。Gravityの議論ルームで話す趣味。コスパの良いガジェットを使いこなす趣味。これらがとにかく楽しい。

ガジェットにはLinuxも含まれるし、GrapheneOSも、OpenWrtも含まれる。

ガジェットを巧みに使えるようになるとQOLは確実に上がる。

Gravityの議論ルームでは、普段関わることのない人たちの視点や、境界知能の人と話す機会も得られ、新たな発見がある。

ChatGPTは、表現が下手な私の文章の意図を深く理解し、補完し、分かりやすく文章化してくれる。

その過程で私自身の理解も深まり、読者にも意図が伝わりやすくなる。それをPDF化するのが楽しい。

これに加えて、読書、YouTube、Dラボ、音楽鑑賞がある。月1回のテニスと、たまに将棋もする。

これだけ趣味が多いと、映画、ドラマ、漫画、小説、テレビ、旅行、グルメなど、他の趣味に手を出す余裕はない。 

振り返ってみると、インフレ税時代において、私がやってきた節約、ダイエット、筋トレ、セキュリティ術、そして金のかからない特殊な趣味は、非常に有効だと感じる。

 

これまで間食欲が強く、体重維持に苦労してきたが、今日に限って言えば食欲が落ち、間食欲が消えた。

うつ病でもなく、至って普通だが、欲が自然に収まると人生は驚くほど楽になる。

物欲、旅行欲、性欲、食欲、承認欲求があったほうが出世には有利だろうが、満たされなければ常に不全感がつきまとう。

そもそも欲がなければ、不全感も存在しない。欲があるから人は働き、金を稼ぎ、消費し、行動する。

適切な範囲なら良いが、過剰になると問題が生じる。知識欲については、あまりセーブしなくても健全だと思う。

金がかかる欲が多いほど、稼がなければならず、人生はハードモードになる。

物欲、旅行欲、グルメ欲、性欲は特に金がかかる。一方、知識欲はほとんど金がかからない。承認欲求は過剰になると人に嫌われやすい。

インフレ税時代において、欲が少ないというのは、過剰消費と真逆であり、節約と非常に相性が良く、生きやすくなる。

 

加えて、「餅は餅屋」である。助けを求めるなら、素人ではなく、プロや専門家に求めたほうが良い。

理由は、プロは詳しく、助けることにかかるコストが低いからだ。素人に頼むと、こちらも相手も負担が大きい。

無料で助けてもらおうとせず、食事を奢る、謝礼を払うなど、形は何でもいい。プロに頼むほうが結果的に得である。

 

Gravityの議論ルームには、東大生や上場企業の人など賢い人もいれば、素人も多い。

私は正しい答えや解決策を求めているのではなく、切り口や視点を得ることを目的としている。

答え自体はChatGPTが出してくれることも多く、それならば質問力のほうが価値がある。

本には載っていない現場の視点、オフレコ情報を聞けるのもGravityの良さだ。

インフレ税時代において、金をなるべくかけず、つながりから助けてもらうこともまた、生存戦略の一つなのである。

 

高市政権は現段階では高い支持率を維持しているように見える一方で、積極財政の路線によって円安が進み、物価高(インフレ)も収まり切らず、物価高の痛みに対して支援策を打つという「インフレを進めてインフレの穴埋めをする」ような本末転倒さも漂っている。

そして私は、これから先、実質的に「長期のインフレ税」政策が続く可能性が高いと予測している。

今後も社会保障費は増え続けるのに、それを恒常的に賄う決定打が見当たらない以上、インフレによって政府債務の実質価値を目減りさせる方向へ寄っていくのが最も現実的だからだ。

これは裏を返せば、預金・金融資産の大部分を保有している高齢者の資産が、時間をかけてじわじわ目減りしていくことを意味する。

 

現に高齢者の中には七十歳を超えても働いている人が多く、若い世代が抱える「将来、年金は十分にもらえないのではないか」という予感は、かなりの確度で現実に近づいていくと思う。

貧困寄りの高齢者は生活保護層として耐え忍び、一定の預金がある高齢者は取り崩しながら働く形になっていくのだろうが、当の本人たちが「自分たちの資産がインフレ税的に削られていく」という構造をどこまで自覚しているのかは、正直あやしい。

 

一方、現役の労働者世代は、わずかな減税で可処分所得が増えるかもしれないと喜びつつも、そもそも働いているので不足分は何とか埋め合わせられるという耐性がある。

ただし、物価高による支出増は確実に効いてくるため、節約を強化したり、投資を始めたりして対抗しようとする層も出てくる。

しかも「手取りが増える」といっても、実態は所得税の減税分が中心で、住民税には及ばない場合もある。

体感としては、かつて石破政権で言われていた「年間2万円を配る」施策のほうが、実質的にもらえる額が大きかった可能性すらある。

世の中にはパフォーマンスに引っ張られる人が多いが、減税や積極財政の穴埋めが赤字国債で行われるなら、それは結局、将来世代へのツケを増やすだけでもある。

若者世代が老後に年金をきちんともらえるのかという不安が当たってしまう構造は、そこに横たわったままだ。

 

また、これまで外国人政策が緩いまま放置されていた空気の中で、外国人対策を「本格的にやっている」と見える動きが出たことで、保守層を含めて高市政権への支持が集まっているようにも見える。

ただ、これも一定のパフォーマンス要素を含んでいる可能性は否定できない。

結局のところ、与党が何か根本的な妙案で状況を反転させたかといえば、ほとんど何も見当たらず、高齢者も現役世代も、実質的にはじわじわ貧しくなっていく流れは続いているように見える。

だからこそ、ゲオやブックオフのような中古販売が利益を伸ばし、メルカリのような二次流通も繁盛している。

 

円安が進んだことで、海外旅行や海外留学はさらにハードルが上がり、同時に海外から外国人労働者が日本に来る動機も弱まっていく可能性がある。

将来的にはAIで労働力を代替できれば、という未来図はあるが、それがどこまで現実に間に合うかは不透明だ。

私もそうだが、まともな金銭感覚を持つ人ほど「節約防衛生活」に寄らざるを得ない。

そして、節約志向が強く財布の紐が固い国民に刺さるサービスを作って儲けるのは至難の業であり、副業を含めて「稼ぐこと」そのものの難易度が上がっている。

 

その中で、エロス資本を持つ若い女性には風俗で稼ぐという逃げ道が残っている一方で、その領域すら規制で潰そうとする動きが検討されているようにも見える。

また、TemuやAliExpressのような節約に役立つ越境ECにも課税や制度変更を検討し、ここも潰していく方向が議論されている。

 

結局、「何か中身のあることをやっているのか」と問われれば、実態としてはパフォーマンスが先に立っているように見える。

維新の会にしても、国民生活の本質に直結しづらい議員定数削減を改革のセンターピンに据えるような空気すらある。

さらに言えば、国民を違法手段で監視する監視社会すら作ろうとしているように私は感じている。

私はNSA級の攻撃すら防げそうな防御体制を組み、抵抗する意思で動いているが、ほとんどの国民はその種の動きに無関心で、危機感も持たないまま流されていくのだろう。

 

私は、インフレ税の時代が本格化することを見越して、早い段階から予防線を張り、節約を徹底的に突き詰めてきた。

同時に、監視社会の進行を前提に、セキュリティや防御の知識と実践も積み重ねてきた。

また、環境がどう変わっても崩れにくい土台として、筋トレとダイエットによって身体を鍛え、メンタル面も含めた耐久力を高めてきた。

いわば「壊れにくい個体」を作ることを意識してきたと言える。

さらに、盗撮や無断撮影が日常レベルで増えている現状を踏まえ、他人に期待せず、個人で身を守るしかないと判断している。

そのため、散歩や外出の際は、マスク・帽子・サングラスを基本装備とし、夏場であれば日傘も併用するなど、可能な限りの完全防備を徹底している。

社会全体での抑止や規制を期待するよりも、現実的には「やられる前提」で自分を守るほうが確実だ。

だからこそ、私は環境の悪化を嘆くより先に、自分の側を強化することを選んできた。

 

皆を幸せにする方法は存在しない。

だが、自分が不幸になりにくい生き方を選ぶことはできる。

戦争でも革命でもなく、過剰な欲望でもなく、静かに、合理的に、現実を見据えて生き延びる。

インフレ税時代において、その選択こそが、最も確実で、最も疲れない幸福への道なのだと、私は思っている。

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