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読書と経験のバランス──暗黙知がものを言う世界でどう力をつけるか

どうも、太陽です。

 

世の中には営業、恋愛、IT実務、起業を含むさまざまな仕事など、奥深くて暗黙知に満ちた分野がある。これらの世界では、本で学べるのはほんの一部に過ぎず、その分野で大量の経験を積んだ人にはなかなかかなわない。

私はこれまで、本と経験の関係について多くの人と議論してきたが、ジャンルによって経験の優位性が違うことを理解していない相手も多く、意見が平行線になることもあった。本稿では、自分の考えを整理し、読書と経験の役割や限界、そして今の自分の強みと弱みについて、論理的にまとめてみたい。

 

営業、恋愛、IT実務、起業などの分野は奥が深く、表に出ない暗黙知が大量に存在している。本に書かれているのは、そのごく一部だ。特に営業や恋愛といった対人分野では、本を何冊も読むより、数冊読んだあとは実践を重ねるほうが上達は早い。

経験の量こそが、地に足のついた再現性の高いスキルを生み出す。だからこそ、IT業界でもスクール卒より実務経験者が重視されるし、営業や恋愛でも経験者が多くの面で上回るのは間違いない。

読書を通じて大量の知識をインプットしても、必ずしも実践で発揮できるとは限らない。そもそも、スキルを発揮するには「使う場」「発揮できる立場」が必要であり、それがないまま知識だけをため込んでも大きな意味はない。結果として、再現性高く身についているスキルの多くは実際に経験したものだ。

 

私の場合、現時点で再現性高く身についているのは、企画・発想力、文章力、WordPressを含む最低限のHP制作力である。一方で、プレゼン力、営業力、深いIT実務力、社会人基礎力、恋愛力は不足している。自営業路線なので社会人基礎力は最低限でよいと考えており、これから鍛えるべきは深いIT実務力と恋愛力だろう。

スマート消費術、セキュリティ自衛、筋トレ・ダイエットについてはある程度経験を積んできたが、全体としては一般の人より経験量が少なく、読書や活字収集が多すぎて偏っていると感じる。

プレゼン力はYouTuber並みに喋れる必要はなく、営業マンでもないので営業力は必須ではない。しかし恋愛力は、相性の良い女性との会話のためにも鍛える必要がある。ここで重要なのは、本に書かれていない暗黙知やオフレコの情報であり、それが成果に直結する場合が多いということだ。

 

読書だけで成果を出している人もいるが、そういう人は立場があり、使う機会があり、経験も同時に積んでいる。

逆に立場も機会もなく、実体験を積まずに読書だけしている人は、自分ができると錯覚してしまう危険がある。

私の強みは、企画・発想、文章力(ただしAIに勝てない部分もある)、HP制作、スマート消費術、ダイエット・筋トレ、セキュリティ自衛であり、実際に太陽SHOPではこれらを組み合わせた活動をしている。

WordPressブログ運営やPDF販売(スマート消費術、ダイエット・筋トレ、セキュリティ自衛)、企画記事、元の文章力を活かしてAIにリライトさせた記事などがそれだ。

一方で、弱みであるプレゼン力、営業力、恋愛力、社会人基礎力、深いIT実務力は当然この活動には入っていない。人間は自分の強みを組み合わせ、それを活かすように生きる傾向がある。

 

そして、読書もまた経験の一部だが、大量経験者が読書者を上回るという単純な話ではない。ここで「読書」の意味を教科書を含むものとして捉える人もいる。もし教科書を含めた活字読解力を持つ大卒クラスの人と、中卒で活字読解力の低い経験者を比べるなら、必ずしも経験者が上回るとは限らない。

そもそも読書と経験は両輪であり、「経験者が必ず勝る」というのは正確ではない。私の主張は、読書(ノウハウ本など机上の学び)と経験(対人などの実体験)を分け、営業や恋愛のように暗黙知が多いジャンルでは、読書者より経験者が勝るということだ。

医学のように教科書や学問をきちんと学んでから実践する必要がある分野では、単なる経験だけでは通用しない。

ITもまた、机上での学びが最低限必要だが、実務経験者が優先される点では営業や恋愛より医学寄りのジャンルだ。

 

こうした議論は、相手が前提や定義を共有できない場合、理解されにくい。読書(教科書含む)による疑似体験比率が高いだけで成果を出せるのか、と私は疑問に思うが、相手は違う価値観を持っていることもある。

同じ言葉でも人によってイメージが異なるのは、自己愛と自己肯定感の違いでも見られた。ある人に「自分大好き度を7点満点で主観で答えてほしい」と聞いたら、7点と答えた。しかし詳しく聞くと、自己愛が7点で、自己肯定感は2.5点という。私が意味していたのは自己肯定感のほうであり、これなら納得がいった。

このように、同じ言葉でも定義が人によって違えば、すれ違いは起きる。修正や説明で歩み寄れる場合もあるが、それでも分かり合えない相手はいる。どこまで説明や関与をするかは、自分で線を引く必要がある。

 

最終的には、ジャンルによって経験者が勝るのは事実だが、読書のショートカット効果も侮れない。他人や先人の経験をわずかな額で買える機会は貴重であり、限定的ながら非常に強力な役割を持つ。

現代社会では、法律、経済、心理学、コミュニケーション、IT、自動車運転、家事、専門スキル、セキュリティなど、広範な知識が求められる。そのレベルは偏差値60以上を前提としており、59以下では日常生活でも苦労するだろう。

私は偏差値60程度の知力(IQ含む)で、現代社会に何とか適応しているが、余力や余裕はない。社会の要求水準は高すぎるのだ。

蓮見スイさんが「喋り方が下手なだけで中身のない人間と思われ、逆に喋り方が上手いだけですごい人間に見せられる」と述べているのを見て、私も強く共感する。

私はIQがそこまで高くなく、プレゼン力が低いため、相手を直接説得するのは難しい。だが文章にしてAIの力を借りれば、理解される可能性は高まるだろう。

 

結局のところ、読書と経験は対立するものではなく、補い合う関係にある。ただし、ジャンルによってどちらを優先すべきかは異なる。自分の強みを伸ばしつつ、必要な弱みを経験で補う。その積み重ねこそが、再現性の高い本物のスキルを作る道だと私は考えている。

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