どうも、太陽です。
【人生の雑学】『もういいや』は諦めじゃない。幸せになる人の手放し方
この動画は、多くの人が否定的に捉えがちな「もういいや」という言葉を、諦めや投げやりではなく、むしろ自分の人生を軽くし、幸福度を高めるための前向きな境界線として活用する方法を紹介しています。
単なる放棄ではなく、「心の負担を減らし、自分のエネルギーを本当に必要なことへ向ける」ための知的な判断として使うことが重要だと強調しています。
動画では、心が軽くなる5つの「もういいや」の例が挙げられています。
まず、変わらない人への期待をやめること。長年付き合った相手でも、人の価値観や習慣はそう簡単には変わりません。変化を促すつもりの言葉すら否定と受け取られる場合が多く、期待し続けることは疲労や落胆につながります。そこで、相手を変えることを目的から外し、一定の距離を保つことで、自分の成長にエネルギーを振り向けられます。これは冷淡さではなく、成熟した関わり方です。
次に、合わない努力を続けるのをやめること。過去に費やした時間や労力に縛られるサンクコスト効果から、「ここまでやったのだからやめられない」と考えてしまうことがあります。しかし、その過程で目的や情熱を見失い、義務感だけが残る状態は危険です。「やめる」ことを諦めではなく軌道修正と捉え、得た経験を別の場で生かす柔軟さが大切です。
三つ目は、勝たなくてもいい争いを手放すこと。勝ち負けにこだわる争いは、一時的な優越感を与えても人間関係を悪化させ、余計なストレスを生みます。自分の尊厳や安全が脅かされる場合を除き、距離を置く、受け流す、沈黙するなど、勝敗をつけない方法を選ぶことが、心のエネルギーを守ります。
四つ目は、際限なく欲しがる気持ちをやめること。新しい物や地位、収入、評価などを追い求め続けると、満足は一瞬で消え、次の刺激を求めるループに陥ります。「足りない」という感覚が常態化すると、どれだけ手に入れても落ち着かなくなります。本当に好きな物を長く大切に使い、量より質を重視することで、幸福感は持続します。
最後に、自分を削ってまで尽くすのをやめること。他人に優しくすることは素晴らしいですが、自分の生活や心を犠牲にしてまで続けると、立て直す時間がなくなります。自分のための時間と他人への時間のバランスをとり、まず自分を満たすことで、そのポジティブなエネルギーが自然に周囲にも伝わります。
心理学的にも「もういいや」には効果があります。未完了の事柄が脳に残り続けるツァイガルニク効果の逆を利用し、区切りをつけることで脳が情報を整理し、集中力やストレス耐性を回復します。
また、自分と他者の間に境界線を引くことで、他人の要求や環境の変化に振り回されず、自己尊重感が高まります。さらに、新しい刺激を追い続けて疲弊する脳の報酬系も、「もう十分」と判断することでリセットされ、小さな満足を味わいやすくなります。
実践する際は、感情が高ぶっている時には即決せず、自分の価値観に沿った基準を持ち、「手放すことで本当に楽になるか」「新しい可能性が開けるか」を確認します。小さなことから始め、不要なSNSフォローを外す、使わない物を片付けるなどで、心理的負担を軽くしながら判断力を鍛えていきます。
手放すことを「終わり」ではなく「空白を作る準備」と考えることで、新しい人間関係や機会を受け入れる余地が生まれます。
結論として、「もういいや」は重い荷物を下ろし、自分の時間とエネルギー、心の静けさを守るための知的で効果的な手段です。感情的な放棄ではなく、冷静で主体的な選択として用いることで、その先に広がる新しい景色や自然に訪れる幸せを迎え入れられるようになります。
この動画を見て、僕は長年の「割り切り思考」や「損切りの発想」が間違っていなかったと確信しました。中高年になれば、年齢や体力、持病、金銭面など、さまざまなリソースが減少します。だからこそ、現実を見据えて「良い意味での諦め」を取り入れることが、幸福で軽やかな生き方につながるのです。
僕はこれまで、年齢や体力の衰え、持病、経済的制約などの現実を踏まえ、数多くのことを割り切ってきました。
不幸の多くは、足りないものや手に入らないものへの執着から生まれます。欲が消えれば、不全感も自然と消えていきます。実際、本当に何としても欲しいものなど世の中にはそう多くありません。
多くは一度手に入れて経験すれば満足し、執着は薄れ、「なんだ、こんなものか」と次の挑戦へ目が向くものです。
若者に不幸が多い理由のひとつは、経験不足で未知の世界が多く、まだ手に入れていないものが多いからです。時間との戦いに焦りながら、体力と気力はあっても金や経験、能力が不足している。
対照的に、成功した中高年は体力・気力こそ衰えても、能力・経験・資金は充実しており、むしろ限られた時間や余命に意識が向きます。
僕の場合、金銭面はスマート消費でしのぎつつ月収10万円以上の収入を目指し、体力・気力不足は筋トレやダイエット、散歩で補っています。
集団ストーカー対策にはセキュリティ自衛を継続中で、唯一解消できていないのが恋愛と性の部分です。恋愛は最悪割り切りも可能ですが、性は風俗で満たせばよいと判断しています。
地位や名誉、学歴、旅行やグルメはもともと欲していないため、割り切る以前に興味がありません。
重要なのは、自分のリソースを踏まえて「何を本当に欲していて、何を良い意味で諦められるのか」「どこまでなら悪あがきを続けるのか」を冷静に分析することです。
僕は完全在宅で月収10万円以上と恋愛(風俗でも可)についてはまだ割り切れず挑戦中ですが、それ以外はおおむね線引きができています。
欲しいものが高難易度であればあるほど、執着は人生を苦しくします。人によって望むものは異なり、東大合格に固執する人、特定の恋人を諦められない人、タワーマンション暮らしを夢見る人、歴史に名を残すことを目指す人、結婚や子供を求める人もいるでしょう。
野球の田中将大投手が日米通算200勝に執念を燃やすのもその一例です。だからこそ、限界を悟ったときに「もういいや」と思えるかどうかが、人生の重さを決めます。
僕自身、スマート消費術(比較的誰でも可能)、ダイエット・筋トレ(継続が難しい)、セキュリティ自衛(偏差値70以上の難易度)、完全在宅で月収10万円以上(IT分野限定の中難度)、恋愛・風俗(恋愛は中高年には難関、風俗は金さえあれば可能)に取り組んでいます。
さらに料理も学び、理想の自給自足生活を目指しています。
ただ、世の中はやるべきことがあまりに多く、法律、経済、心理学、コミュニケーション、IT、自動車運転、家事や料理、専門スキル、セキュリティといった広範な知識を前提に設計されています。
偏差値59以下の人にとっては、日常を送るだけで苦労の連続でしょう。僕は偏差値60程度の人材(IQ込み)だと自負していますが、それでも社会への適応はギリギリで、余裕はありません。国や社会が求めるハードルが高すぎるのです。
限界を見極め、必要なら「もういいや」と割り切る──これは逃げではなく、人生を軽くする戦略です。欲望の優先順位を自分なりに定め、叶わない執着は潔く手放す。
その分のエネルギーを、今本当に必要な挑戦に振り向けることで、限られたリソースでも満足度の高い人生を築くことができます。
この動画は、「結局、幸せとは何なのか」という根源的な問いに対し、心理学や社会的背景、人間の深層心理をもとに5つの視点から考察しています。
まず一つ目は、地位や収入といった外的な成功は心の空白を埋めないという点です。高収入や高級品など、世間が示す成功のテンプレートは分かりやすいものの、それを手に入れても心が満たされず、空虚さを覚える人は少なくありません。
心理学者エド・ディーナーの研究でも、年収が約800万円を超えると幸福度の上昇はほぼ止まるとされています。これは承認欲求と実際の満足感の間にギャップがあるためであり、他人からの羨望と自分の納得は全く別物です。重要なのは、SNS映えする生き方ではなく、自分が本当に喜びを感じられる選択をすることだと語られています。
二つ目は、選択肢の多さが不幸を生むパラドックスです。現代は自由度が高く選択肢も豊富ですが、その一方で「最善を選ばなければ」という圧力が生まれ、選ばなかった選択肢への後悔がつきまといます。この「選択のパラドックス」は、日常のあらゆる場面で心を消耗させます。
幸せの鍵は選択肢の多さではなく、自分の選んだ道を信じられる軸を持つこと。過去の自分の判断を肯定することで、選んだものに意味を与え、心を安定させることができます。
三つ目は、他人との比較が幸福感を奪うという事実です。人は無意識のうちに他人と収入や外見、生活を比べ、自分の優劣を測ります。SNSが普及した現代では、他人の「ハイライト」ばかり目に入り、自分の平凡さが際立ち、劣等感や不安が増幅されます。
これを断ち切るには、他人ではなく「過去の自分」と比較することが有効です。昨日より成長できているか、以前より楽しめているかといった内的な尺度を持つことで、誰にも壊されない幸福感を築くことができます。
四つ目は、幸せとは意味を感じることです。「何のためにこれをしているのか」という疑問は、単なる疲れではなく「意味の欠如」から生まれます。人は本能的に意味ある行動を求め、意味を見いだせなければ、どれほど楽な生活でも苦痛になります。
心理学者ヴィクトール・フランクルは、極限状態の中でも人生には意味があり、それは自ら見つけるものだと説きました。同じ作業でも「誰かの役に立っている」と感じられれば、それは義務ではなく意義ある時間に変わります。小さな「ありがとう」や日々の工夫にも幸せは宿るのです。
五つ目は、幸せは一瞬の感情ではなく、静かな持続感であるということです。旅行や美味しい食事などの瞬間的な喜びは「快楽的幸福」と呼ばれ、気分を高揚させますが長続きしません。対して「意味的幸福」は派手さはなくとも深く続き、「生きていてよかった」という静かな納得感をもたらします。
この状態は、日々の地道な行動──例えば、ちゃんと朝起きられた、誰かを助けられた──の積み重ねで作られます。それが「自分はちゃんと生きている」という確信につながり、心をじわじわと満たしていきます。
さらに、人間には他人が欲しているモノを自分も欲しくなるという性質があります。結婚ラッシュのときに周囲の結婚を見て焦るのもその一例です。知人が何かを手に入れると、「そんなにいいものなのか?」と興味が湧く。この心理があるからこそ口コミは強力であり、欲望はしばしば模倣によって広がります。
本当に自分が欲しいものを正確に見極められる人は少なく、多くは他者の価値判断を借りて動いています。グッピー理論も同じ構造です。ある男性がモテ始めると女性が群がるのは、「他の女性が欲しいと思ったなら自分も欲しい」という判断が働くからです。
既婚者が少なくとも一人の女性に選ばれているという事実も、同様の心理的後押しになります。こうした模倣の欲望に気づかず流されれば、幸せの基準は容易に外部に奪われます。
結論として、この動画は「幸せは外から与えられるものではなく、自分の内面の捉え方によって変わるもの」だと締めくくります。何を得て、何を手放すかは「自分にとって何が大切か」を明確にすることで見えてきます。そして、その答えを探し続ける過程こそが、すでに幸せの一部であると示されています。
他人軸ではなく、自分軸で生きることこそが、最終的には幸せへの近道です。ただし、自分軸とはいっても、他人に迷惑をかけたり、他人の人権を侵害したりしない範囲で成り立つべきものであり、この一線を越えれば、相手が正当防衛を行う正当性を持つ状況や、報復を受ける可能性すら生まれます。
つまり、自分軸の追求は、必ず社会的責任とセットで考えなければならないのです。
また、自分軸は「自分を主人公として生きる」あり方であり、若い時期こそがその主要ステージです。一方、他人軸は子供やパートナーが物語の主役となり、自分は補佐役や後方支援、育成者といった立場に回ります。
人生の後半においても現役プレーヤーとして自分軸を保ち続けられるかどうかは、環境や人間関係に大きく左右されるでしょう。
特に、魅力的な女性の場合、周囲から選ばれる選択肢が大量にある中で、男性が自分の内面にだけ焦点を当て、収入面での競争から降り、自分軸で生きてしまうと、パートナーとしての選択肢として残る確率は極めて低くなります。
つまり、若い時期からあまりにも早く割り切ってしまうのではなく、野心を持ち、挑戦を続ける方が、人生の可能性を広げられるということです。
この判断は本質的にリソースの問題ともいえます。若者は体力・時間・柔軟性といった豊富な資源を持っており、それを投じて挑戦できる時期です。しかし、中高年になると体力や時間、環境の自由度が減少し、現実的な制約が増えます。
この段階では、全方位に挑むのではなく、何を残し、何を手放すかを明確にし、必要に応じて割り切ることが求められます。つまり、若い頃は自分軸を前面に押し出しながら積極的に攻め、中高年期にはリソースの減少に応じて柔軟に舵を切ることが、現実的かつ持続可能な幸せの形となるのです。