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権力の正体と謝罪の価値──行動で示す誠意と人生戦略

どうも、太陽です。

 

世の中には「権力者」と呼ばれる人々がいる。政治家、インフルエンサー、資産家──法律を変える力や人を惹きつける影響力、そして資本主義社会での金の力を持つ人々だ。

しかし、彼らは本当に万能な権力者なのだろうか。実際には、一部の人間を従わせることはできても、全員を思い通りに動かすことはできない。むしろ、その影響力は限定的であり、通用しない相手も増えている。

本稿では、日本に真の権力者はいないという視点から、人間関係における距離感の取り方、そして謝罪や土下座の価値について掘り下げる。

 

政治家は法律を変えることができるため権力者と呼ばれる。インフルエンサーも大きな影響力を持ち、金持ちは資本主義社会で強い立場にある。しかし、これらをひと括りにして「権力者」と呼んでも、その力は絶対的ではない。

与党であっても選挙で敗北すれば影響力は低下し、テレビ局であっても時代の流れや視聴者離れによって衰退する。金持ちであっても、その金の魅力に従う人にしか影響力を及ぼせない。

もし本当に絶大な権力を持っているのなら、世の中をもっと器用に、そして思い通りに動かせているはずだ。しかし現実はそうではない。日本には真の権力者など存在せず、一部の人間を法律、影響力、金の力によって従わせているにすぎない。

そしてこれらの力が通用しない相手も当然いる。実際、従わない者は増えており、例えば芸能界の有力者も、その支配力は芸能界内部に限られ、一般人には無関係だ。大企業の社長であっても、従業員ですら給料という対価があるから働くのであって、無条件で下僕になるわけではない。

 

そもそも「権力があり人を従わせられる」と思い込むこと自体が傲慢だ。むしろ権力よりも、昔からの深い友情のほうが価値があり、裏切られる可能性も低い。しかし年齢を重ねれば、そのような友人とも疎遠になりやすい。

だからこそ、私は人的資本(スキルなど)>金融資本>社会資本の順で重視し、外部に依存しない自給自足生活を理想としている。

 

ではなぜ、多くの人が「権力者がいる」と信じたり吹聴したりするのか。それは象徴的な存在がいるほうが物事が動きやすいからだ。例えば芸能界では、直接の影響力を持たない人物が、人を動かすために「芸能界のドンと知り合いだ」と持ち出すことがある。

その人本人の魅力だけでは不十分なため、外部の権力を利用して説得力を高めるわけだ。これは芸能事務所の典型的な手法で、社長自身のカリスマではなく、マネジメント力を外部の象徴的存在に頼る構造といえる。

「権力がある人が好き」と語った山岸舞彩アナウンサー(2013年週刊文春より)の発言も、その権力者像は金持ちや地位のある人を指していたようだ。しかし現代における「権力」とは、せいぜい一部を従わせ、影響を与える程度のものである。

政治家にすり寄る人は、自社ビジネスを有利にする法案や補助金を求める。インフルエンサーやテレビ局に近づくのは、自分の知名度や宣伝効果を得たいからだ。金持ちに接近するのは、彼らが持つ情報や金銭的メリット、あるいはセレブ生活への憧れが理由である。

逆に、普通の一般人にわざわざすり寄る人は少なく、それは単純にメリットがないからだ。人間には打算的な一面がある。

 

 

私は反省や懺悔にあまり意味を見出していない。「そんなことをするくらいなら最初からやるな」と思う。もし本当に詫びるつもりがあるのなら、言葉ではなく相応のモノを差し出すべきだ。

私が信用する謝罪は、金銭的補償(その人の稼ぎに応じた額)か、投獄(自由の剥奪)の2つである。資産100億円の人物が1億円を支払うより、資産100万円しかない人が1000万円の損害賠償を背負うほうが、はるかに誠意がある。それは大きな犠牲を伴う選択だからだ。投獄も同様で、奪われる自由の重さが謝罪の価値になる。

一方で、謝罪や土下座のような行為は、その場しのぎでしかなく、本当の誠意とは呼べない。だから私は、犯罪被害者が加害者の謝罪を拒否する気持ちを理解できる。確信犯的な加害者に、行動で示す意思も誠意もないことを知っているからだ。

 

私は過去、利用されるだけの関係を長く続けてしまった。損切りのタイミングが遅れたことで、ダメージは長引いた。騙された、利用されていると察知したら、すぐに関係を断ち、被害を最小限にするべきだ。それが人生戦略だ。必要のない人間関係は、迷わず切るべきである。

もちろん、被害が軽い場合は謝罪や土下座で済ませてもよい。しかし、重大な被害──例えば相手に大怪我を負わせたようなケース──では、「謝罪だけ」という対応は到底納得できない。偶然の事故であれば保険で対応できるが、確信犯的な犯罪は別だ。

私は最近、Amazonで欠陥商品の返金・返品を依頼した際、単なる謝罪に加え600ポイントを付与された経験がある。これは企業としての誠意の表れであり、こうした対応ができる企業は稀だ。多くの場合、謝罪や土下座で安く済ませられるなら、そのほうが企業にとって都合が良い。

しかし、私はそんな言葉は信用しない。謝罪の価値は、言葉ではなく行動にある。

 

日本に真の権力者はいない。いるのは、一部の人間を従わせる程度の力を持った人々だ。そして謝罪の価値も、言葉や形ではなく、行動と犠牲の重さによって測られる。

人生において重要なのは、権力や肩書きに惑わされず、必要のない関係をすぐに切る判断力と、自分の資本を高め続ける姿勢だ。誠意とは口先ではなく、具体的な行動で示されるものである。

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