どうも、太陽です。
理想論はしばしば人を惹きつけるが、力を持たない者の理想論は現実感覚を欠き、空虚に響くことが多い。差別や偏見をめぐる議論もその典型であり、平等を声高に訴える者ほど、実は「比較する心」に縛られていることが少なくない。
本稿では、ある議論の場を通じて感じた「空虚な理想論」と「現実的な解決策」の落差について考察する。
「差別や偏見だ!」と騒ぐ人がいるが、もし本当に比較癖をなくすことが重要だというなら、極論としては、自分が比較癖を完全になくし、仮に差別や偏見的な行為をされても「自分は比較されても何も感じない」と思えばノーダメージで済むのではないか。
ところが、そう主張する人に限ってやけに平等意識が強すぎる。平等であることが当然で当たり前だと信じているからこそ、少しでも差別や偏見を受けるとそれを痛みとして捉えてしまう。
逆転の発想として、人類は平等ではないという現実から出発すれば、差に意識が向かなくなり、むしろ楽になるのではないかと思う。
そもそも差別がNGであるという感覚は社会的にある程度は浸透しており(たとえ建前上であっても)、偏見は個人差の領域に属している。法律上でも差別禁止が拡がったのはリベラル勢力の力が大きい。
しかし、モラルの領域において「差別や偏見をNG」とするのは個々人の判断に任されるため、限界がある。差別・偏見を強調する論者は、ときに過剰な被害者意識を持ち、他責的で、弱い人という印象を与えることもある。
ある人物はリベラルな立場を取っていたが、「人はそもそも魂レベルで平等であり、上下は存在せず、動物も同じだ」という独自理論を展開していた。しかしそれはあまりに抽象的すぎて差別の解像度が低すぎた。
差別には人種・民族・性別・年齢・障害・宗教・性的指向・出身・家系・社会階級など、数多くの次元がある。それらをすべて同列に「完全平等」とする極論は、現実の議論と噛み合わなかった。
その人物は「すべての人に偏見なく平等に接する」という理想論を掲げていたが、実際にはGravityルームの中で、相手に勝手な思い込みや偏見を抱いていた。
自ら実行できていないのに空虚な理想論を語る姿は、矛盾を露呈していた。なぜ自分でも不可能なことを声高に主張するのか、理解に苦しむ。
多くの人が本当に聞きたかったのは「理想論を掲げるなら、具体的な解決策を持っているのか?」という点だった。しかしルーム主は大して解決策を持っておらず、しかも批判的な意見ではなく建設的に解決策を出し合いたいという空気があったにもかかわらず、それを浸透させられなかった。
加えてルーム主はコミュニケーション能力が壊滅的で、攻撃的な態度を取ったため、余計に場は揉めた。
もしルーム主が態度を改め、やり方を変えていれば、建設的な方向へ議論を導くに足る人材は揃っていたはずだ。しかし、その力量が足りなかった。
熱心に理想論を語ってはいたが、啓蒙する気はまったくなく、「Gravityルームで話したことが少しでも伝わり、少しでも感染すれば良い」という軽い考えに過ぎなかった。その試みもほぼ失敗に終わっただろう。
というより、メンバーは現実感覚や能力が高く、空虚な理想論に「はい、そうですね」と簡単に賛同する人はいなかった。皆が知りたかったのは、ルーム主がどんな解決策を持っているのかという点だったが、それがほとんど存在しないと気づき、惰性で場が続いていたのだと思う。
一方で、興味深い例として「ポジティブな笑顔の画像とネガティブな表情の画像がランダムに表示され、笑顔の画像を選ぶゲームをすると鬱病が治る」という研究がある。
現実はそのままでも、人の解釈(モノの見方)は変えることができる。まさに世界が変わるのは、自分自身を変えることで起きるのだ。
大抵の不幸な人は自分を変えず、他人を変えようとする。しかしそれは困難であり、挫折しやすい。自分を変えることこそ最短で楽で、しかも自分が変われば他人の反応も変わる。
他人からの反応が変われば、やがて関わる相手も変わり、人生そのものが激変する。
自分を変える方向性としては、「能力構築」と「愛嬌戦略」があるだろう。能力の開発は険しく長い道のりだが需要は高い。一方で愛嬌戦略は比較的実行しやすいが、差別化はそこまで大きくない。
結局のところ、能力と愛嬌の両方を持ち合わせていなければ誰からも相手にされず、付き合うメリットがなくなる。
社会を見渡すと、週刊誌は他人の不幸や粗探しに焦点を当てており、ネガティブ情報ばかりに触れるため、普通の人であれば幸福度は下がるだろう。(サイコパスが多い業界なのでノーダメージの可能性がある)
セキュリティも同じで、常に相手の攻撃に備え、弱点を補うことに集中するため、危険察知力は磨かれるが幸福度は低くなる。
警察も探偵も週刊誌もセキュリティも、基本的に人を疑ってかかる職業であり、人の闇に大量に触れる仕事だからこそ幸福度が低い傾向があるのだ。
楽天家のように楽しいことに焦点を当てられる人は自然にネガティブ情報をスルーできるが、ネガティブ情報に触れすぎれば幸福度は低下する。
自分の場合は、基本的によほど危険な印象を与える人を除けば、まず「信じる・信用する」から始め、そこからベイズ統計的に修正していく。最初は良い印象だと思った人でも、後に悪意ある人間だったとわかることも多い。
その場合はためらわず損切りをする。信用から入っているため期待外れであると判明した時点で、迷わず切り捨てられるのだ。
結び
空虚な理想論は、人を変えようとする姿勢に依拠している。だが現実に変えられるのは常に自分自身であり、自分が変わることで他者や世界の見え方も変わっていく。
力なき者が空虚な理想を語るよりも、現実感覚をもって「自分をどう変えるか」を選び取ることこそが、幸福と成長への最短の道なのだ。