どうも、太陽です。
創造力には大きく分けて「拡散思考」と「収束思考」がある。創造力テスト(DAT)は、遠い関係にある単語を10個思い浮かべる課題を中心としており、これは明らかに拡散思考寄りの測定だと感じる。
斬新なアイデアというものは、多くの場合、異分野同士の組み合わせ、つまり「遠い関係」の統合によって生まれる。その意味で、DATが創造力の有効な一側面を捉えているのは確かだろう。
しかし、創造力の源泉として「想像力」もあるはずだと僕は考えている。想像力とは単に物語やイメージを思い浮かべるだけではなく、たとえば顧客のニーズを想像することにも通じる。
そこから新しいビジネスのアイデアが立ち上がることもあるはずだ。だがDATにおいては、この「想像力」は直接的には測定されていないように思える。
僕が営業や接客の適性が最下位なのは、この「相手に寄り添う気持ち」が弱いからだろう。つまり、顧客のニーズを満たすよりも、自分の強みを活かした商品を提示し、それに魅力を感じた人だけが買えばいいという感覚に近い。
だからこそ、「ニーズ寄りで読者目線で強烈に訴求する文章」に魅力を感じないのだと思う。
また、内向型と外向型の違いも関係している。僕のような極度の内向型は内省に強く、内に意識が向きすぎている。
一方、外向型は外に注意を向けやすく、相手に自然に寄り添える。僕が相手に寄り添うことが不得意、あるいはやりたくないのは、この気質の影響も大きいのだろう。
さらに、僕自身の「持論の強さ」や「リアリスト的な姿勢」、あるいはASD的なこだわりも作用している。相手が納得できる正論を示したときには、僕は深く頷けるし、それは結果的に「寄り添い」になっている。
しかし、相手の意見がイマイチだと感じれば、無理に合わせたくないし、説明しても理解されなければ「もういいや」となる。この姿勢は、寄り添うというよりも「共感の取捨選択」に近い。
だから、僕が深くつながれるのは、自分の感覚に合う人に限られてしまう。もちろん、すべての意見が一致する人などいないが、最低でも7割は一致していないときつい。残り3割については、すり合わせができればいいと考えている。
世の中には、企業や顧客の依頼をそのまま受け入れ、それに応えること自体に喜びを感じる人がいる。持論や自我を薄め、相手が喜んでくれればそれで満足する感覚を持つ人々だ。
これはまさに接客向きの性格である。一方で、僕のように持論や自我が強い人間は、相手の要望に忠実に従うことに喜びを感じられない。そこに工夫や試行錯誤、裁量や自由度を見出せないからだ。
だからこそ、芸術家のように「自分の世界観を表現し、それに共感する人だけが支持してくれればいい」という感覚を持つ。
心理面では、ロールシャッハテストの精度は高いと感じた経験もある。

僕は抗不安薬(ロラゼパム)を毎日朝晩2錠服用しているのだが、あるとき偶然、寝る前の服用を忘れた。その結果、悪夢にうなされて目覚めるという体験をした。
パニック発作に近い感覚もあり、社交不安症を抱えている自分にとって、薬が普段どれほど状態を抑えてくれているかを痛感した瞬間だった。
精神的には「正常の範囲内」にはあるが、完全に健康とは言えない。これは長年にわたる集団ストーカーによる継続的な被害の影響でもあると考えている。
薬を飲まなければ不眠症であることは間違いなく、悪夢で夜中に目覚める状態になるのだ。
創造力は拡散思考と収束思考の両輪であり、DATは確かにその一端を測っている。しかし、想像力や気質、さらには精神状態や人生経験までを含めたとき、創造性の全体像ははるかに複雑になる。
僕は「寄り添う」ことが不得意かもしれないが、自分の世界観を貫き、それに共感する人とつながる形での創造があると信じている。そしてその形こそが、僕のリアリティに根ざした生き方なのだと思う。