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理想のガジェット環境と人間交流の構造──リスク、面倒、そして現状維持バイアスの先にあるもの

どうも、太陽です。 

 

僕はいま、長年の試行錯誤の末に、ようやく理想のガジェット環境を築き上げた。ここに至るまでには、相応のリスクと面倒臭さがあった。

だが、世の中の多くの人は、そこまでの理想を求めようとしない。なぜなら、面倒だからだ。面倒を避け、現状維持のままでいいと考える人が大半である。

この「面倒臭さを避ける心理」こそが、強固な現状維持バイアスであり、変化を阻む最大の要因だと思う。リスクと面倒を乗り越えずして、理想の状態には決してたどり着けない。

節約やコストダウンの分野においても同じで、そこに並々ならぬ意欲と執念がなければ、完全なスマート消費術を実行することは難しい。

現実的に考えると、スマート消費術を完全に実践できる人は全体の2割程度だろう。特に「Linuxへの移行」は大きな壁だ。

僕自身はWindowsが良いとはまったく思わないし、Linuxこそ最高だと思っているが、そう感じない人も多いのが現実だ。結局、ほとんどの人にとって「面倒」を超える動機がない限り、変化は起きない。

 

たとえば、僕が格安レンタルサーバーの「コアサーバー(3年間で7920円)」へ移行したときも、正直リスクと面倒臭さを感じていた。

しかし、それを乗り越えた結果、コスト面でも性能面でも理想的な環境を手に入れた。格安な方向に乗り換えるときには、たいてい「リスク」と「手間」がつきまとうものだ。

それでも実行するかどうかで、後の自由度と満足度は大きく変わる。

 

いま僕が考えている「稼ぐ手段」のひとつに、電話相談士としての活動がある。いわゆる占い師という呼称は好まないが、人生相談という形で人の悩みに乗るということだ。

実際にGravityでルームを開き、問題解決型の交流として相談に乗ってみた。しかし、実際にやってみると、変な人が相談に来たことで一気にやる気を失った。

 

ただ、その後、普段はあまり行かない雑談ルームでシステムエンジニア(SE)と話をする機会があり、その中で興味深い気づきを得た。

人間にはいくつかのタイプがある。まず、「ポジティブ解釈派」と「ネガティブ解釈派」という分類がある。

前者は物事を肯定的にとらえ、困難やトラブルの中にも意味や学びを見出そうとする傾向がある。一方、後者は状況を悲観的に捉え、問題点やリスクに焦点を当てる傾向がある。

 

また、「協調性型(女性型、知識を求めない型)」と「オタク型(知識偏重、男性型)」というタイプ分けもできる。協調性型の人は、関係性や場の調和を重視し、対話の心地よさや共感に価値を置く。

彼らは人との関係を維持することに長けているが、その一方で知識そのものを追求する意欲はあまり強くない。

これに対してオタク型は、知識や情報の深堀りを重視し、論理的に考えることを好むタイプである。彼らは他者との感情的な共感よりも、データや理論の正確性を重視し、知的満足を得ることに喜びを感じる。

したがって、話の内容が浅いと退屈しやすく、議論的で専門的な話題を好む傾向がある。

 

ただし、協調性型であっても、対応できる人数には限界がある。大勢を相手にすると疲弊してしまい、まるで幹事のように場を仕切ることは苦手だ。

これはつまり、協調性の高い人でも「外向型か内向型か」によってキャパシティが異なるということだ。

こうして整理してみると、結局すべてはBIG5理論(人間の性格を5つの基本特性で説明する心理学モデル)に帰結する。

ポジティブかネガティブかは「神経症的傾向(Neuroticism)」、協調性型かオタク型かは「協調性(Agreeableness)」、知識を求めるかどうかは「開放性(Openness)」、そして人数制限や対人耐性は「外向性(Extraversion)」に関係している。

つまり、僕が人間のタイプを観察して感じ取っていたことは、心理学的にも体系化された理論と一致していたのだ。

 

そして、僕はこの「BIG5を声だけである程度判定できる」という特技を持っている。人の話し方、声のトーン、テンポ、語彙の使い方などから、その人の性格特性をかなりの精度で読み取ることができる。

この特技を活かし、現在は「占い的な雰囲気をまとった問題解決型ルーム」を開くという実験をしている。

ただの占いではなく、心理学と経験的観察を融合させた実践であり、人のタイプを声の情報から推測し、性格傾向や行動パターンを分析することで、より的確に問題解決の方向性を示すことが目的だ。

この取り組みは、いわば「心理分析とコミュニケーションの実験」である。僕にとっての相談とは、単なる愚痴の受け皿ではなく、構造的な人間理解の応用でもある。

声から性格を見抜くというこの特技が、将来的に電話相談やオンライン対話において独自の付加価値になるのではないか――そうした可能性を探る試みでもあるのだ。

 

その後、LINEの友人に僕のガジェット情報をかなり提供した。これは僕の情報にどれほどのニーズがあるのかを確かめるための実験でもあり、同時に、その友人自身も情報を欲していたので、お互いにWin-Winの関係だった。

 

人と交流する理由を整理すると、主に「趣味友(共通の趣味で楽しむ)」「共感型交流」「問題解決型交流」「惰性(暇つぶし的)交流」の4つがある。

中でも、最も健全だと感じるのは「趣味友」である。人間には時間という限られたリソースしかなく、その貴重な時間を誰と、何に使うかは重大な意思決定だ。

くだらない人間ほど「惰性型交流」を好み、時間を浪費する。一方で、時間の価値を理解している人は、趣味友や共感型、もしくは問題解決型の交流を選ぶ。

問題解決型には「与える側」と「受け取る側」があり、これは往々にして打算的に見られる。なぜなら、本来なら金銭を介して行われるべき性質のものだからだ。

 

共感型交流には異性間ならスキンシップや性的要素も含まれる。同性間では、オタク的な文脈で共通の話題を楽しむこともあるだろう。

だが、僕は共感型交流が得意ではない。ASD傾向もあり、承認欲求もほとんどない。だからこそ、僕の交流の目的は「趣味友」か「問題解決型交流」に偏りやすい。

そして、実際には「与える側(ギブ側)」になることが多い。惰性型交流を好む人とは関わりたくないので、そういう雑談ルームや愚痴吐きルームには近寄らないようにしている。

Gravityでも、僕が好むのはテーマや目的が明確な「議論ルーム」だ。実際、僕が開いたルームで最も人が集まるのは、「問題解決型交流」として開いたときである。

 

興味深いことに、女性は「占い」という言葉に惹かれやすい。だから、タイトルに「占い」や「悩み相談」のような雰囲気を出すと女性は寄ってくる。

しかし、集まってくる女性には二種類いる。ひとつは本当に問題解決を求める人、もうひとつは単なる愚痴吐きを目的とする人だ。

僕はボランティアとしてやっているつもりなので、文句を言われる筋合いはない。

雑談は共感型交流の典型だが、難しさもある。なぜなら、参加者のバックグラウンドがバラバラなため、共通項を見つけても話題が浅くなりがちだからだ。

僕のようにオタク気質で深く掘り下げたい人間にとって、それは退屈に感じる。

 

共感型が不得意な僕にとって、趣味友か問題解決型のどちらかしかない。問題解決型で「与える側」になるのは、自分の強みを活かせる範囲内の相手に限られる。

だが、やはり最も健全なのは趣味友だと感じる。テニスなど、純粋に楽しむことが目的の関係こそが長続きしやすい。

 

また、5つ目として「情報交換型交流」という形もある。これはお互いに知識や情報を持ち寄り、交換することで高め合うタイプの関係だ。

これも非常に有意義だが、問題解決型や情報交換型の交流は「損得勘定」が見えやすく、打算的に感じられてしまうのが難点だ。

問題解決型では「与える側」と「受け取る側」が明確に分かれ、情報交換型では「GIVE&TAKE」が成り立つ。

ただし、占い系など「問題解決型交流」は女性にウケが良い一方で、提供側(ギブ側)の負担が大きい。

女性と共感型交流を行うのが得意な男性ならともかく、僕のような問題解決型の人間にとってはやりづらい。さらに、情報交換交流において、そうしたリソースを提供できる女性は非常に稀だ。

 

惰性型(暇つぶし)交流は論外としているが、Gravityではそういう「なんとなく雑談」目的の人も多い。そういうルームには参加しないようにしている。

そういう人たちは自分の時間も他人の時間も軽視しており、目的意識が薄い。もっとも、彼らの中には「共感型交流」を無意識に求めている人もいるのかもしれない。

 

以前、Gravityで相談に乗った24歳の女性がいた。その女性は、38歳の旦那との馴れ初めを話していた。彼女は若い頃に遊びつくし、イケメン好き(今市隆二や窪塚洋介がタイプ)だったが、旦那は「市原隼人を闇落ちさせたような雰囲気」で、夜職系で男気のある人物だという。

頼りがいはあるが非常に細かく、女性の大半は数ヶ月で嫌気がさして離れていくタイプだそうだ。実際、彼はバツ2だった。しかし今の奥さんとは結婚して子どもがいる。

その女性は努力家ではなく、経済的にも誰かに頼らざるを得ないタイプだった。だからこそ、男気があり、問題解決型で頼りがいのある旦那は理想的な相手だったのだ。

彼の浮気癖や細かさといった欠点には目をつぶれる。一方、旦那側も自分の性格をよく理解しており、過去に離れていった女性たちの経験を踏まえて、「離れない相手」を無意識に選んだのだろう。

つまり、両者はお互いの「生存戦略」として、損得や相性が一致しているのである。

 

結局、交流や付き合いとは「お互いの合意ありき」で成り立つ。だが、その合意がなく一方的に情報を奪う行為──すなわち「スパイ行為」──は、搾取であり人権侵害である。

某大企業やCIA、メディアによる監視行為、集団ストーカーのような存在は、まさにそうした「合意なき搾取」を行う連中だ。

交流とは本来、参加も離脱も自由であるべきだが、スパイ行為は一方的で、こちらが「NO」と言っても止まらない。これは奴隷契約にも等しい。

 

僕の中では、そうした「終わった金持ち権力者」と関わる者は潜在的な敵だとみなしている。「○○○日本一おめでとう」といったスローガンを叫ぶ連中や、某大企業を礼賛する経済新聞なども同じで、関わりたくない対象である。

僕には明確なNGワードがあり、マスコミや某大企業に関連する話題はその最たるものだ。過去にそうした存在と揉めた経験もあるため、これらをしつこく口にする人は即ブロック対象である。

また、そのような連中と親しくしている人間も、深く関わりたいとは思わない。リアルの場で言えば「出禁」扱いである。ネットではNGワード、リアルでは出禁。

僕の基本方針は一貫しており、「関わりたくないものとは関わらない」という単純明快なルールのもとに生きている。

 

理想の環境を築くにも、健全な人間関係を保つにも、共通することがある。それは、「リスク」と「面倒臭さ」を恐れず、明確な目的と判断基準を持つことだ。

面倒を避ける人は、永遠に現状維持のままだろう。

人との交流も同じだ。目的を持ち、何を求め、何を与えるかを見極めなければ、結局は惰性や搾取に巻き込まれる。

僕は、理想のガジェット環境と同じように、自分の交流環境も自ら選び取り、チューニングしていく。そこにこそ、真の自由と安心があるのだ。

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