どうも、太陽です。
人が社会のなかで優位に生きていくためのリソースは、大きく分けて「人的資本」「金融資本」「社会資本」「エロス資本」「環境資本」の5つに分類できる。
これらを多く持つ人ほど、他者から嫉妬されやすいことは容易に理解できる。しかし、私のように人的資本一本で生きている人間に対して嫉妬する者がいるとすれば、それはよほど強いコンプレックスを抱えているのだと思う。
なぜなら、私が持っているリソースは決して多くない。むしろ「小」の側に属しており、創意工夫と努力でようやく今の状態を築いてきたにすぎないからだ。
私の環境資本──つまり理想のガジェット環境やセキュリティ体制も、すべて自力で整えてきた。人的資本にしても、経済学・経営学・心理学の3分野を広く浅く学んだ程度であり、特別な学位や専門資格を持つわけではない。
にもかかわらず、限られたリソースを最大限に活かし、工夫によって乗り切ってきたのだ。
この5つの資本をうまく増やしていくことで、人はより有利に生きることができ、心の余裕も増す。
一方で、他人による妬みや嫌がらせ、たとえば「集団ストーカー」といった存在に対して不安になったり、学習性無力感に陥るのは無意味だと気づいた。
人はいじめや嫌がらせを受けると、「何をしても無駄だ」「抵抗できない」と思い込みがちだが、嫉妬に満ちた他人の行動ごときで、自分の心を乱される必要などまったくない。むしろ、そのような存在は自分の視界から消すのが正解だ。
幸い、私は自分でセキュリティ環境を構築し、ハッキングなどのリスクを大幅に下げ、悪質ないたずらを受けることもなくなった。
CIAを名乗るような集団ストーカーたちが釣り動画を量産しているが、それらはすべてミュートにした。彼らの存在自体を、私の人生から永久に消去したのだ。
そして、今では「一般人であることの気楽さ」を心底感じている。もし自分が芸能人であったなら、街を歩くだけで視線を浴び、気づかれ、常に監視されるようなストレスを抱えていただろう。
承認欲求の強い芸能人にとってはそれが快感なのかもしれないが、私にとっては苦痛でしかない。
投資家として成功し、隠れた金持ちとして静かに生きている人もいるのに、なぜかメディアに露出したがる人間がいる。私からすれば理解不能である。
富を得ながらも目立たず、静かに生きる「隠れた金持ち」こそが最強だと思う。金持ちであることを知られれば、たかられたり、余計な声をかけられたりと、煩わしいことが増えるだけだ。
結局のところ、集団ストーカーにしても、彼らはただ観察しているだけで、交渉も、助ける意志もない。もともと敵である以上、こちらが気にかける理由はどこにもない。
観察するだけで何も関わらない者など、存在しないのと同じである。だからこそ、そうした人間を徹底的に無視し、視界から消すことが最善なのだ。
3年前、私は「自分を助けられるのは自分だけだ」という自己責任の真理に目覚め、行動に移した。その積み重ねが今の状態をつくった。
そして今では完全に確信している──自分を救えるのは自分だけだと。無関係な他人を切り捨て、完全にシャットダウンする。それこそが自立の核心であり、自由の始まりである。
今の私は、過去のどの時期よりも充実している。過去は黒歴史であり、不調の連続だった。だからこそ、今が絶頂期なのだ。
思考実験として過去に戻ることを考えても、二度と戻りたいとは思わない。むしろ、年齢を重ねた今だからこそ、良い意味で「開き直り」と「諦め」ができ、本当に大切なものだけに集中できるようになった。
不要な情報を遮断し、無関係な人間をミュートすることは、立派な環境資本の構築手段である。相性の悪い人間と関わらないこともまた、環境資本を守る行為だ。
YouTubeでも、一度でも変な動画を見ると関連動画が延々と表示され、無限ループにはまりやすい。だからこそ、早めのミュートが賢明である。
攻撃的でサディスティックなコンテンツを発信している者たちは、実際には多くの人にミュートされ、孤立した空間で「読まれている」と自己満足しているにすぎない。
彼らは「類は友を呼ぶ」の法則のもと、同類同士で閉じた世界を形成し、滑稽なほどに自己消費している。
生存戦略の観点から見ると、最も望ましい関係とは「お互いに利用価値がある関係」である。損得で結びつく関係は冷たく見えるかもしれないが、実際にはWin-Winの補完関係であり、健全な共存の形である。
問題は、一方が一方に依存するだけの非対称な関係であり、その場合はどちらかが一方的にギブする構図になる。
真の意味での対等な関係は、お互いの資本が補完し合っている状態だ。
たとえば、エロス資本の高い美人と、金融資本の豊富な金持ちが惹かれ合うのは、双方のリソースが一致し、補完関係にあるからである。
金融資本はあるが人的資本の乏しい者は、人的資本の豊富だが金銭的余裕のない者とつながればWin-Winになる。
こうした相互補完こそが、生存を有利にする理にかなった形だ。
また、金融資本だけを持つ老人がやたらとモノを買い込むのも、実は生存戦略として理にかなっている。老いとともに不安が増すからこそ、モノを所有することで安心感を得ようとするのだ。
それは「備え」であり、人間の本能的行動でもある。私自身もリソースが限られているからこそ、道具を賢く使いこなすことが重要だと痛感している。
道具を活用して人類は発展してきたのだ。だからこそ、ガジェットやツールを買い込むことで安心感が得られるし、特にインフレの時代においては、腐らないモノを安いうちに買っておくのは極めて合理的な判断だ。
実際、中華ミニPCや4Kモバイルモニターはすでに値上がりしており、先に購入しておいて正解だった。さらに、財務省が中国からの低価格品流入に対して個人輸入品の税優遇を廃止する方針を打ち出したことで、TemuやAliExpressにとって不利な状況が生まれつつある。
私はこのニュースを見てすぐに中華シェーバーなどを買い込んだが、Temuではすでに中華シェーバーが1台しか買えない制限がかかっていた。こうした現実を見ても、早めに行動しておくことがどれほど重要かがわかる。
インフレの時代において、リソースの小さい者がモノを前もって買い込むのは正しい選択である。だが皮肉なことに、庶民が節約しようとするその努力さえ、国の政策によって阻まれつつあるようにも見える。
国の建前と本音という問題についても、私なりに冷静に読み解くと、表向きのスローガンと実際の権力運用には乖離があるとしか思えない。
公式には「稼げ」「挑戦しろ」「個性を発揮しろ」と国民に呼びかけるが、現実には「過度に目立って稼ぐ者を潰す」「集団の秩序に従う、扱いやすい人材を求める」という振る舞いが見え隠れする。
本音と建前のずれは、制度設計や政策の運用、社会的なリスク分配の仕方に表れる。たとえば国は財政や治安、政策の安定を理由に増税や新たな負担を打ち出すことがあり、政策の帰結として結果的に高い税負担や規制が強くのしかかる局面がある(最近では財政や防衛費をめぐる税制議論が報道されている)。
こうした状況で「猛烈に稼いで挑戦する」ことが必ずしも合理的な選択肢でないと判断するのは、単なる臆病ではなく現実的なリスク計算である。
税や規制によって所得や投資のリターンが圧縮されるなら、時間と努力を大量に投じるインセンティブは薄れる。
しかも、稼ぐことを妨げるような制度的な傾向が強まれば、起業や大きなチャレンジの期待収益は下がり、リスクとリターンの比が割りに合わなくなる。これは単なる妄想ではなく、制度変更や税制動向を踏まえた現実的な判断だ。
さらにやっかいなのは、国家が民衆の不満をそらすために娯楽や消費を促すような仕掛けを持つことだ。古典的に言えば「パンと見世物(bread and circuses)」のような手法で、スポーツや映画、性的娯楽といった文化的消費が政治的緩衝材として機能することがある。
これは権力が市民の政治的エネルギーや抗議の火を弱める手段となりうる。国民が生活苦を日常の娯楽で紛らわせる構図──つまり3S的(スポーツ、性、映画)な迂回路が作用することを見過ごしてはならない。
この「建前=励起、挑発」「本音=抑制、管理」という二重構造は、節約という庶民の防衛術に対してすら作用する。
節約が国民生活のサバイバル戦略であるにもかかわらず、政策や貿易・税制の変更がそれを難しくする局面が存在する。
節約そのものを妨げる制度的変化は、結果的に庶民の自律的な生存戦略を蝕む。だからこそ、「稼ぐ/挑戦する」一辺倒でも「節約する」だけでもない、状況に応じた柔軟な生存戦略が必要になる。
この本音を悟った時点で、私は「日本という仕組みの下で過度に目立って稼ごうとするのは割に合わない」という合理的な結論に傾いた。
国家の方針にNOを突きつけるべきだ、というのが僕の主張である。
さらに重視すべきは、権力が行う監視や傍受、あるいはそれに準ずる手口への備えだ。普通のセキュリティ対策で防げない侵害の領域が存在することを前提に、自衛のレイヤーを増やす必要がある。
ネットワーク分離や適切な運用、余計な露出を避ける行動設計などは、単なるテクニカルな工夫ではなく、制度的リスクに対する実務的な対応である。
最後に、このような構図を見ていて重要だと感じるのは、怒りや無力感で終わらせないことだ。選挙など公的な場で意見を表明することは重要だが、それだけでは不十分だ。
個人としての戦術(環境資本の強化、人的資本の蓄積、社会資本の選択的運用)と、集団的な対抗手段(政策への関与や情報拡散、社会運動など)を同時に考えることが現実的な抵抗となる。
だが短期的に見れば、目の前の生活を守るために「目立たない勝ち方」を選ぶのは合理かつ正当な判断である。
結局、自分の生活を守るのは自分しかいないという認識は真理だ。そして現状の制度や権力構造の「本音」を見抜いたうえで、無用な対立や過剰な露出を避け、環境資本を整え、不要な情報を遮断し、5つの資本を戦略的に運用することが現代における最強のサバイバル戦略である。
ただし、同時に制度や方針に対する公開の議論や政治参加も放棄すべきではない。個人の静かな自立と、社会を変えようとする公的な努力──この二つを両立させることが、長期的に見て最も賢いやり方だと私は考える。