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自己投資と他人投資――年齢・役割・AI時代における「人生の立ち位置」をどう考えるか

どうも、太陽です。

 

人は年齢とともに、社会の中で期待される役割が変化していく。

若者には現役プレーヤーとしての活躍が期待され、中高年以降には管理職やマネジャー、投資家といった立ち位置が用意されるのが一般的だ。

これは能力の優劣ではなく、体力・時間・経験・資本といった条件の変化に基づく、ごく自然な役割分担である。

本稿では、自己投資と他人への投資、年齢と役割、そしてAIの登場によって揺らぎ始めた従来の人生モデルについて、順を追って考察していく。

 

中高年以降になると、若者ほど現役プレーヤーとして第一線で活躍し続けることは難しくなる。

体力や反射神経、集中力といった身体的要因だけでなく、ライフステージの変化や責任の増加も影響する。

そのため社会には、中高年や高齢者が活躍できる立ち位置として、管理職、マネジャー、プロデューサー、あるいは投資家といった役割が用意されてきた。

これらは若者を導き、育て、活躍してもらう側のポジションであり、社会全体が循環するための重要な役割でもある。

 

この前提に立つと、若いうちからFIREを目指したり、投資家ポジションに早期に移行するという考え方は、本来の社会構造からするとやや道理にかなっていない面がある。

若者はそもそも投資資金が乏しいのが当たり前であり、まずは労働によって収入を得て、経験を積み、元手を作るステージにある。

その過程に失敗すると、本来なら投資や管理に回るべき中高年・高齢期になっても、生活のために労働を続けざるを得なくなる可能性が高まる。

 

もちろん、若いうちから投資の勉強をすること自体は悪いことではない。

しかし、投資によって本格的に社会に影響を与えたり、安定した成果を出すフェーズは、本来であれば中高年以降に訪れるのが自然である。

なぜなら、投資とは単に資金を投じる行為ではなく、経験、判断力、失敗の蓄積を前提とする行為だからだ。

 

一方で、中高年以降になっても現役プレーヤーとして第一線で活躍し続けることは、正直に言ってかなりしんどい。

体力的にも精神的にも負荷が大きく、持続可能とは言いがたい。

そのため、本来は部下や若者に活躍してもらい、自分は全体を見渡すマネジャー的立ち位置に回る方が合理的である。

しかし、フリーランスという働き方を選ぶと、組織の中で役割が分化されにくいため、生涯現役プレーヤーになりがちだという側面もある。

 

ところが近年、AIの登場によって、この構造が少しずつ変わり始めている。管理職やマネジャー、組織という立ち位置が、AIによって一人でも成立し始めているのだ。

AIが部下や労働者の役割を担い、一人で三役以上の働きをしてくれるようになれば、必ずしも組織に属して管理職でいる必要はなくなる。

フリーランスであっても、AIを使いこなすことで、かつては組織でしか実現できなかった働き方が可能になりつつある。

 

本来であれば、中高年以降に現役プレーヤーとして活躍し続けるのは厳しいはずだった。しかし、AIの登場によって、その寿命がある程度延命された可能性はある。

ただし、それは誰にでも当てはまる話ではない。中高年以降にAIを使いこなせるかどうかは、かなり明暗が分かれる。

直感的には、AIに対する抵抗感が少ない若者の方が、AIをうまく使いこなしているようにも見える。

しかしその一方で、若者はAIに丸投げしすぎている側面もある。AIの出力が本当に正しいのか、妥当なのかを判断するには、長年の経験や専門知識が必要になる場合が多い。

そう考えると、経験と知識を蓄積してきた中高年の方が、AIを「正しく」活用できる余地は大きい。AIは万能ではなく、使う側の判断力によって価値が大きく左右される道具だからだ。

 

話題を少し変えると、推し活よりも自分を人生の主人公にした方が楽しく、充実するし、本当にイケている人は自分の人生を生きるのに忙しく、他人にかまっていられないという意見がある。

他人にとやかく口出しする時点で、その人は自分の人生を十分に生きておらず、忙しくもなく、中途半端なのではないか、という見方だ。

ただし、この考え方も万能ではない。親になると、人生の主役が自分だった状態から、子供中心の生活にシフトする場合が多い。

問題になるのは、親が過剰に子供に期待し、子供に投資しすぎるケースだ。

親がかつて自分自身で成し遂げられなかったことを、子供に投影し、高学歴にさせようとしたり、立派な職業に就かせたり、良い相手と結婚させようとするのは、子供のためというより、親のエゴである場合が少なくない。

 

そもそも、どんな子供が生まれるかはギャンブルに近い。自分の子供が天才や才能ある人物になる可能性もあれば、社会に適応できず、ニートになる可能性もある。

子供は親を選べないという意味で「親ガチャ」が語られることがあるが、同時に親も子供を選べないという「子ガチャ」でもある。

そう考えると、自己投資だけでなく、他人への投資という観点から、自分の子供以外にも目を向けるのは理にかなっている。

株式投資として市場や企業に投資することは、その代表例だ。

 

自己投資は、自分自身を最もよく理解している自分が対象になるため、確実性が高く、面白さもあり、人生の主人公でいる感覚を得やすい。

AIの登場によって現役プレーヤーとしての寿命が延びたことで、今後は自己投資を続ける人も増えるかもしれない。

しかし同時に、他人への投資――推し活、子供、部下や若者、株式市場への投資――も一概に否定されるべきものではない。

問題なのは「悪い他人投資」である。たとえば、自分が成し遂げられなかったことを子供に押し付ける教育ママ的行動や、自己評価の低さから推し活やホストに過剰に貢ぐ行為は、健全とは言いがたい。

一方で、管理職やマネジャーとして部下を育てること、若者を支援すること、あるいは本来なら若いうちは労働が主役で、中高年以降に行うべき株式市場への投資は、社会的にも個人的にも意味のある行為だ。

 

また、自分の限界に気づいたとき、自己投資が割に合わなくなっている可能性もある。その場合、他人への投資に意識が向くのは自然な流れであり、それ自体が必ずしも衰えを意味するわけではない。

他人を育てることにやりがいを感じ、それに向いているという適性の場合もある。ただし同時に、それは自分の衰えの兆候である可能性も含んでいる。

最も問題なのは、実力や能力のない高齢の権力者が、いつまでも権力の座に居座り、後の世代の邪魔をしたり、過剰に介入することだ。

生涯現役や現役プレーヤーこそが実力者だという風潮が強すぎると、現役を引退した瞬間に価値がなくなったかのように扱われ、マネジャーや他人への投資が「衰え」として評価される。

その結果、権力や現役ポジションにしがみつく構造が生まれかねない。

 

自己投資が好きであることは悪いことではない。しかし、それはあくまで役割分担の一つにすぎない。

全員が生涯現役プレーヤーでい続けられるわけではなく、他人への投資を軽んじれば、社会にも個人にもさまざまな歪みが生じる。

自己投資と他人投資のどちらが正しいかではなく、年齢、能力、適性、時代背景に応じて役割を引き受けていくことこそが、持続可能で健全な生き方なのではないだろうか。

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