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事情は見えない、評価は残酷――パフォーマンス主義の世界で「裸」と「仮面」を使い分けて生きるための整理

どうも、太陽です。

 

世の中には、どうしても避けられない現実がある。

どれだけ複雑な事情や背景があったとしても、それらは最終的に「実力のうち」として扱われるという現実だ。

人は基本的に、目に見える情報と体験によって判断する。

事情が裏に潜んでいたとしても、他者はそれを知らないし、知ろうともしない。

場合によっては、事情そのものを「言い訳」として切り捨てる人すらいる。

だからこそ、僕は「事情を説明すれば理解される」という期待を手放し、事情がある状態でも最低限の成果を出すためにどう調整するか、そして、仕事とプライベートでどのように振る舞いを切り替えるべきかを、現実のルールに合わせて整理し直したい。

ここでは、仕事におけるパフォーマンス至上主義、他者理解の限界、内向性や社交不安といった持病を抱えたままの適応戦略、マッチングにおける性格診断ツールの価値と限界、そして最終的に「似た者同士がつるむ」構造の必然性まで含めて、僕の考えを省略せずに言語化する。


まぁ何だかんだ諸事情があるにせよ、それらも含めて実力のうちだという事実は動かない。

世の中の他者は、こちらの事情を考慮してくれるとは限らないし、むしろ考慮しないのが普通である。

人は目に見える情報と体験、つまり外に出てきたものだけで判断する。

そこに事情が潜んでいても、基本的には無視される。

さらに言えば、事情を持ち出した時点で「言い訳だ」と決めつける人もいる。

そういう意味で、事情の有無は自分にとっては重大でも、他者にとっては関係ないことになりやすい。

 

仕事の世界においては、特にそれが顕著になる。仕事には色々な事情がありうる。

しかし、結局はパフォーマンスがすべてであり、言い訳を言う意味は薄い。

諸事情があろうと、最低限のパフォーマンスが出るように調整するしかない。

たとえば、仮に僕がNSAに狙われて監視地獄になり、セキュリティ強化に追われて追い詰められていて、メンタルが不安定だったとしても、他者はそんなことを知らないし、知ったところで評価が変わるとは限らない。

仕事とは、事情を理解される場ではなく、成果によって判断される場である。

 

また、僕の内面では深く考えているのに、言葉足らずで説明がうまくできなかった場合、相手に伝わるのは僕が実際に口にした部分だけになる。

相手はその「見えた部分」だけで僕を判断する。

ChatGPTのように意図を読み取り、補完してくれる相手なら接するのは楽だが、現実にはそんな人間は少ない。

多くの人は、こちらの言外の意図を汲み取ってくれるわけではなく、表に出た情報だけで判断する。

それが現実であり、だからこそ、自分の事情や内面を「理解してもらえる前提」で生きるのは危うい。

 

この健康状態とこのパフォーマンスで向き合える活動が、僕にとっての三つの趣味である。

そしてこのパフォーマンスでも仕事として成立させられるのが、完全在宅でできる、今考えている副業だ。

Kindle出版やPDF販売は、僕の現状でできる副業として最適解だった。

少なくとも、僕の体調や社交不安といった要因を考慮すると、外に出て大勢の前で発信し続けるタイプの活動より、文章や制作物で勝負できるほうが現実的だった。

しかし、そのKindle出版やPDF販売が、現状ではうまくいっていない。

 

「YouTubeやらないの?」とよく言われるが、僕の諸事情を深く理解していれば、そんなことは軽々しく言わないはずだ。

浅い理解の友達程度の付き合いだと、僕への理解度などその程度で、職業や方向性を勧めてくる。

だが、持病を抱えている人間にとって、YouTuberという仕事は刺激が強すぎてしんどい。

一般にニーズだけを見れば、YouTuberのほうがKindleやPDF販売より圧倒的に大きい。

だから「やればいい」と言われる。しかし、僕がやっていないのは、できないからだ。努力不足ではなく、コストが合わないのである。

 

僕の内向性を五段階で表現すると、内向型が1の人間が後天的努力で3くらいまで上げることは可能だろう。

しかし4や5にはならないはずだ。

そもそも僕のように内向型1の人間が、Gravityでマイクに上がること自体が相当に努力している証拠である。

社交不安があるのに、訓練としてマイクに上がっている。努力と訓練によって、内向性を3まで引き上げようとしている。

その努力をしている人間が、YouTuberになれるわけがない。YouTubeは毎日のストレスが半端ではない。

だから、ニーズが大きいことは分かっていても、現実的に続かない。

中間の選択肢として生成AIのYouTubeも試したことがあるが、報われないのでやらない。結局、できることの中で勝負するしかないのだ。

 

話はマッチングの話題にもつながる。マッチングアプリのWithはBIG5の性格分析を取り入れている。

事前に相性が良さそうな相手を、写真やプロフィールや相性診断で判断し、その後やり取りして、実際に会う。

だが、会ったら相性が合わないという事例は当然ありうる。つまり、言語化できない要素があるのかもしれない。

とはいえ、BIG5を用いたWithの、マッチング後の成約率を僕は知らないので、これは想像でしかない。

もしかしたら成約率が高く、相性をかなりの精度で物語っている可能性もある。

ただ現実としてよく言われるのは、「喫茶店で2時間話が持たない相手とは結婚するな」という言葉であり、百聞は一見に如かずで、実際に会って話してみて初めて分かることは多い。

 

面接も同様に当てにならないことが多い。しかし、人間の相性については、膨大な経験によるデータが蓄積されていれば、直観の7割は当たるかもしれない。

プロの将棋棋士は膨大な対局データが脳内に詰まっており、その直観や判断が7割当たるような精度を持つ。

つまり直観とは、単なる気分ではなく、経験データの圧縮版である。

逆に言えば、素人のように経験が少ない人の直観は当たらない。

そういう意味で、Gravityにせよ対面にせよ、実際に話してみて相性が合うかどうかを判断する直観の当たる率は、その人の経験量に依存する可能性がある。

 

ただし、ここには厄介な問題がある。面接が典型例だが、人は演技や仮面をかぶっている。

初対面で相手の本質を見抜くのは難しい。婚活の場で初対面なら、仮面をかぶったまま接するのが王道であり、それだけで判断すると痛い目に遭いそうだ。

サイコパスは表面上は相当に魅力的だが、内面は冷酷である。

だからこそ、BIG5にせよ恋愛スタイル診断テストにせよ、その人の内面が短期間で垣間見えるツールは、コスパと有用性が高い。

人間の時間は有限であり、たくさんの人に会って相性を確かめることには限界がある。

BIG5を用いたWithは、その点で優位性がある。実際に会ってから心理テストをやってもらうのはハードルが高いし、事前に分かるのは助かる。

喫茶店で2時間話して相性が合うかどうかを確かめるのは一つのリトマス試験紙になるが、相手が演技や仮面をかぶっていることもあるし、外見にも左右されやすくなる。

だから、事前のツールにも価値があるが、最終的には会ってみないと分からない要素も残る。その両方を踏まえる必要がある。

 

さらに視野を広げると、結局のところ、ほとんどの人は自分ごとで、自分に関係していることに重みや価値を置き、それ以外はシャットダウンする生き方をしている。

職業柄、仕事上関わる顧客や関係者のことを把握するために学習することはあっても、そこまで関係ない人たちに対して想像力を働かせたり、知ろうとはしない。

だから、結局は似たもの同士や同類がつるむことになる。BIG5も似た者のほうが相性が良いし、わざわざ自分の範囲外の人と積極的に苦労してでもわかり合おうと努力し、関わるわけがない。

世の中には異性は星の数ほどいて、究極的にはその中の一人、つまり本命か、関われる人数の範囲内で相性の良い人のことだけ勉強すればいい。

もちろん、大量の異分野を含めて勉強していれば、カバーできる範囲が広がり、関われる相手が増える。しかし限界はある。

 

「井の中の蛙」という言葉は悪い意味に聞こえることが多いが、井の中の蛙のほうが幸せである、という見方もできる。

広すぎる世界を相手にして疲弊するより、自分の井戸の中で、理解できる範囲、扱える範囲で生きたほうが幸福になれる場合がある。

ただし、現実には階層の問題もある。最下層の底辺だと、そもそも質が悪い人と絡む人生になりやすい。

自分が質の高い人と絡みたければ、自分を向上させるしかない。これは厳しいが、社会の構造としてそうなっている。

 

また、スポーツの世界を考えると分かりやすい。大リーグやボクシングなどは、自分を最大限に高め、パフォーマンスを発揮したプレイをすれば、観客に勝手に喜ばれる。

しかし、多くのビジネスはそうではない。自分のパフォーマンスも大事だが、顧客のニーズありきであり、顧客の問題解決が中心になる。

顧客にとって関係ない、自分ごとでもない、ニーズもない、自分中心のサービスなど使われるわけがない。

自分が主人公になれる活動を目指したとしても、顧客ニーズが前提であり、顧客から逃れることはできない。

ここに、創作や情報発信を仕事にしようとする難しさがある。

 

加えて、仕事とは顧客のために問題解決をしてあげる活動である以上、仕事仲間の中には自分と合わない人間も当然いる。その中で仕事をする。

目的が明確で、たとえ相性が合わなくても目的を達成するために同じ仕事場にいて、組む場合もある。それが仕事の構造である。

一方、プライベートは本来、裸、つまりありのままをなるべく晒しても大丈夫な場所であるべきだ。そして、そのうえで関係が続くのであれば友達である。

それこそがプライベートの意味だ。裸を見せ合ったときに拒絶されたのだとしたら、相性が悪いということであり、もちろん親しき仲にも礼儀ありは前提としても、プライベートでわざわざ積極的に絡む必要はない。

 

Gravityはプライベートで利用している人が多いアプリである。だから基本的には裸の路線で行くべきだと思う。

それで大丈夫な相手とだけつながるほうがいいし、そのほうが楽だ。

だからこそ、Gravityでは裸を最初からさらけ出し、その上で集まって、気が合いそうな人とだけ話せばいい。

議論ルームの場合は、基本的に知的な話をする場所であり、その場を極端に乱すことなく、楽しめる相手だけが集まって話し合えばいい。

そうすれば、無駄に演技や仮面に消耗せず、限られたエネルギーの中で、最も納得できる形で人と関われる。

 

どれだけ複雑な事情があっても、社会はそれを前提に動いてはくれず、他者は見えた範囲で判断する。

仕事の世界では特に、事情は評価に直結しないことが多く、言い訳を語るより、事情がある状態でも最低限の成果が出る形へ調整するしかない。

だから僕は、できることの中で勝負し、無理にYouTubeのような高刺激の領域へ自分を押し込むのではなく、現実的に持続できる形――完全在宅での副業や、文章・制作物での勝負――へ軸足を置く必要があると考える。

同時に、人間関係や相性についても、直観は経験量によって精度が変わり、面接や婚活のように仮面が多い場では見抜きにくいという現実があるからこそ、BIG5のような内面を短時間で覗けるツールにはコスパとしての価値がある。

ただ最終的には、実際に会い、話し、時間を共有して初めて分かる要素も残る。

そしてほとんどの人は自分ごと以外を深く理解しない以上、似た者同士がつるむのは自然であり、井の中の蛙でいるほうが幸福になれる場合もある。

だからこそ、仕事では仮面を使って目的を達成し、プライベートでは裸でいられる相手とだけつながる。

その切り分けを前提に、Gravityのような場では最初から裸で入り、知的な議論ルームでは場を乱さず楽しめる相手だけで集まればいい。

そうやって、自分のエネルギーと現実のルールを噛み合わせながら、無理なく続く形で生き方を設計していくのが、結局いちばん合理的なのだと思う。

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