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歳を取るとニーズは消える──居場所が人生の満足度を左右する時代の、生存戦略としての人間関係投資

どうも、太陽です。

 

人は年齢とともに成熟し、経験を重ね、内面が深まっていく。

しかし、その一方で静かに、しかし確実に減っていくものがある。

それが「他者から求められる機会」、すなわちニーズである。

若いうちは、理由が曖昧でも人に求められる。

年齢、若さ、将来性、それ自体が価値として扱われる。

しかし歳を重ねるにつれて、その自動的に与えられていた価値は失われていく。

この文章では、「ニーズの減少」と「居場所の喪失」という現象を軸に、なぜ居場所作りが重要なのか、なぜそれが難しいのか、そしてどのような形が現実的なのかを、自身の体験と観察をもとに掘り下げていく。

 

歳を取るにつれて、人は徐々に「求められなくなっていく」。

若いうちは、特別な能力や実績がなくても、存在そのものが歓迎される場面が多い。

しかし年齢が上がると、その前提は崩れる。

何かを提供できなければ、そこにいてもいい理由がなくなる。

そうなると、自然と「居場所」が失われていく。

ここで言う居場所とは、単なる知り合いや一時的な交流の場ではなく、リアルで、かつ長期間にわたって関係が継続し、信頼関係が構築されている場所のことを指す。

 

問題は、このような居場所は、思い立ったからといって簡単に作れるものではないという点にある。

信頼関係には時間がかかる。

共通の経験や積み重ねが必要であり、短期間で代替できるものではない。

そのため、今後は「居場所格差」が生まれてくると考えている。

若い頃から家庭を築いていた人、昔の友人関係を大切に維持してきた人は、新たに居場所を作るための投資が少なくて済む。

一方で、それらを持たない人は、年齢を重ねてから多大な労力とコストを払って、ゼロから居場所を構築しなければならなくなる。

 

結婚や、昔からの友人関係を大切にするという行為は、単なる情緒的な選択ではなく、将来の居場所確保への投資でもある。

これを後回しにすると、後年になってそのツケを一気に支払うことになる。

もちろん、例外は存在する。

新規の人間関係の中でも常に求められ続けるほどの魅力や、高いコミュニケーション能力を持っている人であれば、どこに行っても居場所を作ることができる。

Gravityのような音声SNSでも、毎回新しいつながりを生み出すことは可能だ。

しかし、それは相応のエネルギーを消費する。

毎回自己紹介をし、関係性を一から構築し、空気を読み、価値を提供し続ける必要がある。それは疲労を伴う。

 

Gravityは一期一会が多い。気軽で、刺激があり、良い面も確かにある。

しかし、長期的な信頼関係を積み立てていく「居場所への投資」という観点では、必ずしも適しているとは言えない。

現時点で、私の安定した居場所は、身内、テニス仲間、そしてLINEでつながっている友人1人のみである。

それを打開しようとして、自分なりに進路の開拓を進めつつ、Gravityでも居場所作りを試みている。

しかし、PTSDを抱えていることもあり、その難易度は高い。常に緊張が伴い、無理をすれば消耗する。

 

ここで一つの仮説が浮かぶ。

政治家や、中年以降で起業する人たちは、「存在価値を感じられる居場所」を求めているのではないか、ということだ。

歳を取るにつれて社会的なニーズが減っていく中で、自分が必要とされる場を自ら作りに行っているのではないか。

FIRE後に再び働く人が多いのも、単なる金銭の問題ではなく、居場所の問題が大きいのではないかと思う。

 

私自身の生活を見ても、月に1回だけ、1000円以下の出費で車移動し、テニスをして、4時間ほどで解散する。

このペースは非常にちょうど良い。

運動にもなり、適度な人間関係も保てる。過剰な干渉もなく、消耗もしない。

 

一方で、知的に合うタイプの人間は、リアルな生活圏にはほとんど存在しない。

そのため、そうした相手はGravityで探し、居場所を作ろうとしている。

政治家、起業家、社長、研究者といった人たちは、これをリアルの仕事場で実現している。

仕事という枠組みの中で、同じ知的レベルの人間と日常的に関わり、居場所を形成している。

 

だからこそ、歳を取った政治家や起業家、社長、研究者の中には、独身であっても充実している人が多いのではないか。

居場所は結婚による家庭だけではない。

仕事場もまた、強力な居場所となり得る。

しかも、同じ知的レベルの人間が集まる場所である。

 

結局のところ、歳を取るとニーズは確実に減る。

だからこそ、若いうちから居場所作りに投資しておいた方がいい。

結婚も、その選択肢の一つである。

特に女性は、若いうちのニーズが非常に高い。

しかし中年以降、そのニーズは極端に減る。

これは男性も同じではあるが、変化の落差は大きい。そのため、注意が必要である。

 

さらに難しいのは、プライベートの居場所は「裸」、つまりありのままでいられる場所であるべきだという点だ。

仕事のように仮面を被り、役割を演じ続ける場では、本当の居場所とは言えない。

精神疾患を抱えている人、障害者、高齢者は、すでにハンデを背負っている。

そのため、ありのまま、裸の状態で受け入れてもらえる場所は、同じ立場の人間同士になりがちである。

健常者の集団に混じるためには、そのハンデを補って余りある魅力や価値を提供できなければ、現実的には難しい。

 

それでも、居場所があるかどうかは、人の幸福に直結する。これは間違いない。

さらに、居場所作りを難しくしている要因がある。

それは、レベルの高い人間はすでに同レベルの人間同士でグループを作っているという事実だ。

つまり、レベルの高い人とつながろうとする場合、まったくの新規でグループを構成するのは難しい。

現実的なのは、誰かがすでに持っているグループに加わるという形である。

 

人数について考えると、4人程度が最もバランスが良いのではないかと思う。

男4人、あるいは男2人・女2人といった構成は、安定しやすい。

実際、私のテニス仲間も男4人と女1人という構成で成り立っている。

理想の居場所とは、自分が自然体でいられ、存在感も発揮でき、同時に周囲の人間も同じように自然体でいられる場所である。

誰かが無理をし、誰かが我慢して成り立つ場所は、長続きしない。

 

歳を取るということは、時間が減ることではなく、「自動的に与えられていた居場所」が失われていく過程でもある。

だからこそ、居場所は偶然に任せるものではなく、意識的に投資し、育てていく対象になる。

居場所があるかどうかは、金や肩書き以上に、人生の充実度を左右する。

ニーズが消えても、居場所が残っていれば、人は立ち続けることができる。

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