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監視なき善意は幻想か──怠ける誘因と実力社会への欲望

どうも、太陽です。

 

スーパーのレジで見た、ほんの小さな光景から考えたことがある。

人は監視されなければ怠けるのか。

成果が自分に直結しなければ、本気を出さないのか。

倫理観や善意に期待する社会は、そもそも現実的ではないのではないか。

レジの店員の動きひとつから、会社員の働き方、公務員制度、副業解禁、芸能人の不祥事、そして完全実力社会のスポーツまで、思考は広がっていった。

以下は、その一連の思考を省略せずに整理し直したものである。

 

スーパーで見た光景がある。

レジの店員が高齢の客を相手に、かなりゆっくりとした動作で接客していた。

まるでスローモーションのように感じられた。

正直に言えば、「遅いなぁ」と思いながら、自分の番が来るのを待っていた。

ところが、いざ自分の順番になると、その店員の動きは急に速くなった。

さきほどまでの緩慢な動作が嘘のように、テキパキと処理が進んだ。

 

あのとき、店員は僕の「急いでいる雰囲気」に気づいたのだろうか。

それとも、単に相手が高齢者だったから配慮していただけなのだろうか。

もちろん後者の可能性はある。

しかし、同時にこうも考えた。

人は監視されていないとき、あるいはプレッシャーがかかっていないとき、どうしても怠ける誘因が働くのではないか、と。

 

レジの接客は基本的に時給制である。

どれだけ速く正確にこなしても、どれだけゆっくりこなしても、基本給は同じである。

しかもそのスーパーは時給が高いわけではない。

であれば、「多少は怠けていてもいい」と感じても不思議ではない。

海外ではさらに緩慢な接客を見かけることもある。

それに比べれば、まだましとも言えるかもしれない。

 

しかし僕はせっかちで、急いでいた。

その焦りが伝わり、店員の動きが速くなったとすれば、それは「監視」や「評価」を感じた瞬間に行動が変わったということになる。

つまり、人は見られていると感じると動きが変わる存在なのではないか、という仮説が浮かぶ。

 

これはスーパーのレジに限った話ではない。

会社員も同じである。

成果給が少なく、どれだけ努力しても給料が大きく変わらないのであれば、同じ時間を過ごすなら、なるべく楽をしたほうが得だと考える人が出てくるのは自然である。

時間給や固定給の世界では、「頑張らないこと」にも合理性がある。

 

だからこそ、フリーランスのように成果がすべて自分に返ってくる立場や、メジャーリーグのような完全実力主義の世界でなければ、人は本気で頑張らないのではないかという考えに至る。

自分の裁量次第で収入や評価が大きく変わる世界であれば、誰も見ていなくても努力せざるを得ない。

なぜなら、努力不足はそのまま成果に反映され、自分の損失になるからだ。

 

もちろん、会社員でも副業が認められている場合、話は少し変わる。

本業を効率よくこなし、そのうえでスキマ時間に副業を行うという器用な生き方が可能になる。

固定給で生活の安定を確保しつつ、成果報酬型の副業でチャレンジするという二段構えである。

 

ただし、このモデルにも問題はある。

本業がおろそかになる可能性があるからだ。

しかし、そもそも本業が時給制やルーチンワーク中心で成果給が少ないのであれば、副業を認めたほうが、むしろ人材の定着につながるかもしれない。

副業があることでモチベーションを保ちやすくなるからである。

 

公務員は典型例である。

決まった業務をルーチンでこなす職種が多い。

安定した給与と身分保障がある一方で、成果が大きく報酬に反映されるわけではない。

であれば、副業を認めることで、優秀な公務員が効率よく本業をさばき、空いた時間で副業に挑戦するという形もあり得る。

安定給とチャレンジ機会を併せ持つ職業になれば、より魅力的になる可能性もある。

人材の効率的活用という観点から見ても、一考の価値はある。

 

結局のところ、能力構築や努力の度合いは、その人が置かれている立場に大きく左右される。

フリーランスやプロスポーツ選手のように、成果が直接自分に跳ね返る環境では、怠ける余地は少ない。

一方、固定給で監視も緩く、成果が大きく反映されない環境では、怠ける誘因がどうしても強くなる。

 

この「監視」と「成果の反映」は、倫理の問題にも通じる。

芸能人や有名人は常に監視されている。

メディアやSNSによって行動が記録され、検証され、掘り起こされる可能性がある。

そのため、自粛が効きやすい。

もちろん、バレないと高をくくって不祥事を起こし、週刊誌に撮られる事例も多発しているが、それでも一般人よりは「見られている」圧力が強い。

 

一方で、一般人はどうか。

日常生活で嘘をつく回数は、おそらく一般人のほうが圧倒的に多いだろう。

芸能人の嘘は検証される可能性があるが、一般人の嘘はほとんど検証されない。

だからこそ、倫理観の発揮は「監視」と「罰」の存在に強く依存しているのではないかという疑念が生じる。

 

つまり、倫理観そのものに期待する社会は、どこか甘いのではないか。

監視もなく、罰もなく、それでも人は善良に振る舞うはずだという前提は、現実的とは言いがたい。

人間は状況に強く影響される存在であり、インセンティブ設計次第で行動は変わる。

 

能力構築の場面でも同じである。

自分に明確なメリットがあり、努力が報われるシステムでなければ、人は簡単に怠ける。

完全実力社会のスポーツでは、誰も見ていなくても最大限頑張らなければならない。

なぜなら、努力の有無はそのまま成績に反映され、評価や契約に直結するからだ。

そこでは「見られていないから手を抜く」という選択肢は、結局自分の損失にしかならない。

 

スーパーのレジから始まった小さな違和感は、こうして社会全体のインセンティブ設計の問題へとつながっていく。

人は善だから頑張るのか。

それとも、報われるから頑張るのか。

人は倫理的だから自制するのか。

それとも、監視され罰せられるから自制するのか。

 

おそらく答えは後者に近い。

人間は理想よりも制度に影響される。

だからこそ、善意や倫理に過度に期待するのではなく、怠ける誘因を減らし、努力が報われ、不正が割に合わない仕組みを設計することのほうが現実的なのかもしれない。

 

監視なき善意に期待するよりも、努力が正当に報われ、怠慢や不正が合理的でなくなる構造を整えることこそが、人間という存在を前提にした現実的な社会設計なのではないだろうか。

 

 

リライトする前の文章。

 

スーパーで見た光景。レジの店員が老人相手にスロー動作で接客対応していた。

「遅いなぁ」と思いつつ、待っていて僕の番になったら、急に動きが早くなった。

僕の意図に気づいたのだろうか?人は監視されないと怠ける体質がある。

レジの接客は時給制だから余計に怠ける。

(時給が安いスーパーだから、多少は怠けていてもいいと思うし、海外ではもっと怠惰な接客がなされている。しかし僕はせっかちで急いでおり、その姿に気づいたのかもしれない)

 

会社員も成果給が少なければ同じ時間なら怠けたほうが得だ。

だから、フリーランス(自分の裁量次第で成果はすべて自分次第)か大リーグのような完全実力・能力社会じゃないと人は本気で頑張らない。

どうしても怠ける誘因が働く。

会社員で副業が認められいる場合、効率よく働いたうえで、スキマ時間で副業をやるという器用なことをできる人もいる。

しかし、本業がおろそかになる可能性がある。

とはいえ、時給制や決まった仕事で成果給が少ないなら副業を認めたほうが居着く可能性が高い。

 

公務員なんて典型例で決まった仕事であり、ルーチン化しがちなのだから、副業を認めたほうがいい。

優秀な公務員なら効率よくさばき、スキマ時間で副業ライフであり、人材の効率化につながる。

公務員が安定給+チャレンジな副業という魅力的な職業になる。

 

仕事においての能力構築ではその人が置かれている立場(フリーランスや大リーグ野球など)が関係している。

頑張るモチベがない会社員や時給のバイトは怠ける誘因が強い。

一方、倫理的行動においては監視が強い芸能人や有名人ほど自粛が効く。

(だがバレないと思い、週刊誌に撮られる事例多発)

 

一般人のほうが倫理観なく行動している。

芸能人のほうが監視され、バレるリスクが高いから自粛している。

日常で嘘をつく回数も一般人のほうが圧倒的に多いであろう。

芸能人の嘘は検証される可能性がある。

その当時はバレないと高をくくっていても掘り起こされる。

だから倫理観などに期待する社会はいまいちである。

監視がなく罰がないのに人の善良さに期待しすぎ。

また能力構築でも(自分のメリットになる)、人は頑張って報われるシステムや立場がないと簡単に怠ける。

完全実力社会のスポーツでは誰も見ていなくても最大限頑張らなければそれが成果として反映される。

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